本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年2月14日

 二月十四日 金 (京都日記) 玉葉が昨日の芝居見物の礼としてやつて来た時ハ已ニ十時頃 此時迄ハオレハ寝て居た 十時半頃ニ起て直ニ山の温泉へ行つた 一時頃ニハお栄が三代子を連れて来た 又今日ハ画をかくのを見る為ニとて尾張楼の娘のお三代が一緒にやつて来た 中村もやつて来て奴ハ先日から書きかけて居る山科の紀行をしきりニかく 又敦盛ハ其清書ニ一生懸命 オレハ今日被物の模様丈で日をくらした 中村を晩めしニ引とめ酒などを少し計平野屋から取り寄せて宴を開いた 後紀行の修正や挿絵をがさがさとやらかすやらで時間が立ち十二時過ニ為つて古城ハ帰り行きたり 山科紀行がとうとう出来上り直ニ郵便で毎日の吉岡へ向けて出す

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