1896(明治29) 年2月29日
二月二十九日 土 (京都日記) 樺山愛輔から電信で今朝九時ニ総督一行が神戸を立れた事が知らして来た 其積で用意した ステーシヨンに行き十一時半ニ総督及大久保利武君等ニ逢つた 愛輔 資英等も同車で東京へ帰る 昼めしハ小堀でやらかしそれから内へ帰つて諸払の書附のしらべなどした
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
二月二十九日 土 (京都日記) 樺山愛輔から電信で今朝九時ニ総督一行が神戸を立れた事が知らして来た 其積で用意した ステーシヨンに行き十一時半ニ総督及大久保利武君等ニ逢つた 愛輔 資英等も同車で東京へ帰る 昼めしハ小堀でやらかしそれから内へ帰つて諸払の書附のしらべなどした