1896(明治29) 年10月24日
十月二十四日 土
朝報知の坂井弁氏が来て起された 時ニ九時頃 間も無く安藤が来又堀江が来た 安藤 中村と昼めしを内で食ひ安藤ハ去り中村と白馬会ニ行く 曾我が仏から帰つて来たと云端書をよこしたので一寸と寄つて来た 留守 会場で長原 寺山 岡 和田 岡田 白瀧 湯浅等ニ逢ふ 夕方ニ中村と安藤の処ニ行き三人で大金でめし 中村と合乗で帰た 四谷ニ火事が有つたので見ニ行きかけ紀国坂まで行きかけたが鎮火でやめて帰つた 時ニ十時頃 一時頃まで話して寝床ニ這入る
十月二十四日 土
朝報知の坂井弁氏が来て起された 時ニ九時頃 間も無く安藤が来又堀江が来た 安藤 中村と昼めしを内で食ひ安藤ハ去り中村と白馬会ニ行く 曾我が仏から帰つて来たと云端書をよこしたので一寸と寄つて来た 留守 会場で長原 寺山 岡 和田 岡田 白瀧 湯浅等ニ逢ふ 夕方ニ中村と安藤の処ニ行き三人で大金でめし 中村と合乗で帰た 四谷ニ火事が有つたので見ニ行きかけ紀国坂まで行きかけたが鎮火でやめて帰つた 時ニ十時頃 一時頃まで話して寝床ニ這入る