1896(明治29) 年2月23日
二月二十三日 日 (京都日記)
十時から十二時迄安藤が話して行た 午後ハ玉葉と三代子を相手ニ仕事した 今日三代子の油画を一と通りやつてのけた 又他日都合ニ依而筆を加る事として置く 五時ニ仕事をやめてお栄が持て来てくれた握すしや又平野屋から取りよせた鯛のあらを食ひ始めた 酒も極少々頂く 此時急ニ用が出来てお栄の巡査ハ二人の女を置て帰つて仕舞つた こう云ごまかしの食事が丁度済だ 西園寺候への手紙をかき九時ニ中村と一緒ニ女子供も引連れて散歩ニ出掛く 京極をぬけて三条通ニ出河原町の南で中村ニ別れた 其処で三人と為り先斗町を下り菊水の角の橋を渡り新地ニ入り尾張楼迄行く そうすると新宅が出来上つたからマア一寸見て行けとかなんとかで新宅の二回の三畳ニ十一時半まで話をして帰つた