本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1900(明治33) 年6月21日

 六月二十一日 (欧洲出張日記) 朝の内は船のゆれが昨日ニかわらない 十二時頃に漸くスコトラ島の北に来た 此のスコトラ島は中々大きなもので又かなり高い頭のぎざぎざに切れた岩山が見える 白い砂が谷間から海岸へ流れ出したやうな処も二ケ処程見えた 此の島にはアロエスと云ふ木が少し有る計で其他の樹木ハ何もない 島中には三四百人位づゝのアラビヤ人の村落が有るそうだ 此処ニ来てから海が少しく静ニ為つた 昨夜サイゴンから乗つた一人の病人が死んだので今晩六時ニ水葬をやつた 棺をドブンとしづめてそれでお仕舞だ 終日風が有つて少しも暑いと思ハない 部屋の中ハ暑いやらくさいやらで安眠は出来ない

1900(明治33) 年6月22日

 六月二十二日 (欧洲出張日記) 亜弗利加の北の角のガルダフユヰの岬を廻つたと見えて五六時頃から海が非常ニ静ニ為つた 其代りニ暑さが加つた 午後ニは寒暖計が摂氏の三十四度ニ昇つた 華氏の九十三度余だ 今日は所謂アデン湾といふ処を通つて居るのだ

1900(明治33) 年6月23日

 六月二十三日 (欧洲出張日記) 天気快晴 海も至而静なり 午前十一時半頃から右手にボツボツ岡が見え始めた 是れが亜弗利加の北岸ヂブーチ港の入口ナルオボツク地方が見えるのだ 海の色はあいでかもめが多い 一時頃に左手の水際に極平たく白つちやけた陸が出て来た 今日は中々あつい 船の上で摂氏三十六度五分 華氏の九十七度余に為つた 陸上の暑さハ思ひやられる 午後二時少し過ニヂブーチニ着いた 余り暑いのと町がいかニも下らないと云ふので日本人は一同上陸を見合せた ヂブーチは仏国領で石炭置場の様な処だ 木も草も無い焼け地の実にいやな処だ 何ニしろ水気のない処だから木の育つ気遣がない 仏人が他国から持て来て植えて楽しんで居る木がヂブーチ中に七本丈だそうだ サラジーも此処で石炭を積み込で午後の九時に出帆した ヂブーチの近辺で水の色は緑色の薄いのだ そうして遠山の色は桃色がゝつて居て中々色はいゝ 又水に飛込で銭を貰ふ黒坊の色と水の色などハ非常に面白い 今日は少しく頭が痛いから折角いゝ色のものを見ても愉快に感ずる事が少ない 尤も頭が痛くなかつたならつまらない処と聞ても上陸して見るのだつたけれどもマアマア用心して船にじつとして居た 残つて居たのはいゝが少し風の有る方へ行くと船へ積込で居る石炭の粉で真黒に為る そうだと云て風のない方へ行けば目がくらむやうに暑かつたので一時は大ニ閉口した 晩めし頃から頭がよく為つた 夜ハ甲板の椅子の上ニねこんで岡崎氏の経歴談をきゝ一時半頃に部屋に這入る

1900(明治33) 年6月24日

 六月二十四日 (欧洲出張日記) 晴天だ 今日は所謂紅海を通つて居る 寒暖計は摂氏の三十五度 時々焼土の島を見かけた かもめはいくらも船に付て飛で居る 其声は丸で赤子か猫がなくやうだ 海の平かなる事は池の水に更ハらない 風はなまぬくいが断へず少しづゝ吹て居る 三十五度でもさ程には思ハない 三十五度は華氏の九十五度位だ 処が今日は夜に為つて却て暑いやうだ 佐藤 青山 岡崎の三氏とかるたをやつて仕舞つて丁度十一時に寒暖計を見ニ行つたら三十二度に為つて居る さすがに熱帯だ

1900(明治33) 年6月25日

 六月二十五日 (欧洲出張日記) 先月の今日日本を立つたのだが考れバ随分長い道中だ 今日も寒暖計は三十五度だ 明日船でお祝をやると云ふ事で其祝の番附の表紙の画をオレにかいてくれと云ふので午後其画をかいた 又先日水葬された男の遺族へ贈る為めに寄附金を募つて居たから夫れに日本人一同で加入を申込で一人で十仏づゝ出した 夜青山 佐藤 岡崎の三氏と共に二十一をやつて十一時まで遊んだ ヂブーチからついて来た鳥が今日は全く見えなく為つた

1900(明治33) 年6月26日

 六月二十六日 (欧洲出張日記) 午後二時頃から船員の肖像をかく 此の男は大層画好で自分でも少しなすくるのだが中々得意なのだ 先日からオレにかいてくれと云て居たからとうとう今日始めた 四時半頃ニ一と通り出来て額に入れて窓の上につるそうとしたらくぎがぬけて其男の頭の上に落ちて画は半分消えて仕舞つた 夜食後は祝宴で大騒ぎ オレは十一時過ニ寝床に這入つた 今日の午後は寒暖計が三十二度だつた

1900(明治33) 年6月27日

 六月二十七日 (欧洲出張日記) 昨夜は珍らしく汗をかゝなかつた 昨夜は一時半頃まで皆をどりをやつたそうだ こう云遊ニなるとどうも夷人のお附合は出来ない 今朝六時頃ニ起て見ると窓から陸が見える アヽもう大分スエズに近寄つて来た 八時頃から左右に陸がずうつと並んで出て来た なんでも此の辺が話ニ有る Passage de la Mer Rouge と云処だそうだ 今朝は寒暖計が二十八度に下つて居る 又風が有つて涼しい 風の為に波は可也立つて居るが船は一向ゆれない 午後八時頃に船がスエズに着いた スエズの港の日入後の空の色は誠ニきれいだつた 地平線の上は薄赤いやうな霞がかゝつて其上は少し黄葉むだやうなすき透つた色でそれから次第次第に青に黄色と赤と入れたやうな至極おとなしい色でそうして其中に明るい星が光つて居た 此のスエズといふ処はミラージユといふものゝ多い処だと云ふ事だ ミラージユは我国の蜃気楼の事だ 空中に町の姿が出現するのだ 此のサラジーの運転手の一人の話ニ或る時空中に異なものが有ると思つてよくよく見たら汽船が波を切つて進んで来るのが例の如く空に写つて居るのだつたそうだ 支那の暴徒一件が益はげしく為つて北京ニ於ける英 米 白の三公使館の外は皆焼け失せ公使の行衛ハ分らず太姑の砲台ハ日 露 英等の為ニ占領されたと云ふ事をきいた

1900(明治33) 年6月28日

 六月二十八日 (欧洲出張日記) スエズ港で浮ながら一夜を明かした 朝五時頃に同質の仏人のぢゞいが起て行くので目が覚めた 又つるつるして居ると六時頃に検疫医が来たから甲板ニ出ろと云てボーイが起しニ来たから仕度をして甲板ニ出た 此の検疫と云ふのは只乗客の頭数をしらべる位の事だが中々手間が取れて吾れ吾れが調らべられた時ハ八時頃ニ為つた 色々な物売がやつて来たからスエズの写真だの又古銭などを少し買た 此の地の海の色や山の色などは朝の内も中々面白い 山は赤つちやらけたやうで水は七宝焼の浅黄色だ 昨日アラビヤと亜弗利加の陸を左右に見て通る時アラビヤの山々に日の当つて居るのを見て或る同行の人が雪の山に夕日が当つて居るやうだと云つたが成る程至極尤だ 此の辺の禿山を日中に見れバ日本の雪山の日に照らされているのを見るやうな感がする 午前九時頃に出帆して堀割の中に這入つた 今朝は寒暖計が摂氏の二十五度位で大層すゞしかつたが堀割に這入つて段々進むに随つて暑く為り真昼間はとうとう三十六度まで上つた 華氏の九十六度八分だから暑い筈だ 十七年に此処を通つた時と今と両岸の様子は左程変つた処は無いやうだが其時までは夜は船を進めなかつた為二日かゝつて此の堀割を通り抜けたが此の頃は船のへ先に大きな電灯をつけて夜でも進行する事が出来る 尤も以前は船室など只の油の灯であつたがそれが盡く電灯に為つて仕舞つた 十時半頃ニ寝床ニ這入つて仕舞つた処がいかりをおろす音で目が覚めた 時計を見ると一時前ニ為つて居る 今ポルトサイドに着たものと見える

1900(明治33) 年6月29日

 六月二十九日 (欧洲出張日記) 昨夜は蚊が居たのと夜中石炭の積み込みでがたがたやるのでゆつくり眠る事が出来なかつた 四時頃に船が動き出したやうだからポルトサイドを一と目も見ないで立つのも残念だと思ひいそいでヅボンをはき上着を引かけて甲板ニ出た そうするともうポルトサイドははるかに為つて高い塔や町の全体が殆んど平たく空に切り抜画のやうに為つて居るのを見た 此の時ニ寒暖計を見たら二十一度であつたが午後ニ為つては三十度まで昇つた 今日は向ふ風で夕方から夜へかけては随分船がゆれた ポルトサイドを出てから陸は少しも見えない

1900(明治33) 年6月30日

 六月三十日 (欧洲出張日記) 八時一寸過ニ甲板ニ出たら右手ニ至極はるかにカンヂ Candie 島が見えた 此の島は古のクレトといふた処で二三年前に宗徒の争から希と土と戦争をしたのなどは即ち此の島で始まつた事だ 段々近く為つて十一時過ニは大層島ニ近づいて終日此の島を右にして進んだ 望遠鏡で見る 処々に人家などのある処も有る 人家は丸で角な石がならべて有るやうで墓場を望むやうだ 森林のやうなものは一つも見えない 山は云ハヾ禿山で小さな木が有る丈だ 山の上には処々に少しづゝ雪が残つて居る 此んなあつい処の焼け土の山におまけに今頃に雪とは少し不思議に思つた 猟船が一つも見えない所を以て見ると此の島の者は牧畜位で食つて居るものか知らん 今日は終日海は至極静だ 風も余程つめたく為つたから今日から白い服をやめにした 寒暖計は二十八度まで上つた(八十二度四分) 午後三時過から二時間計かゝつて船の三等運転手のヴイダル Vidal の肖像をなすくつてやつた 先日一寸かいたのだ わるくなつたから今日それを直してやつた 夜恒藤 佐藤 青山の三氏と少しく二十一をやつて遊んだ 地中海の海の色は非常ニ青いと云ふ事だが此の前ニ通る時はそんな事には気が附かなかつたから今度は気をつけて見る 処が余り青いと云ふ程でもない 先づ昨日今日の処では日本の南海の色と同じやうだ 空の色も日本東京近辺の空合と変らないやうだ 今日夕暮の空をながめると四日五日かと思ふ位の月が出て居た 月と云ふものは妙に人に遠方や過去の事を思ひ出させる

to page top