1900(明治33) 年6月30日


 六月三十日 (欧洲出張日記)
 八時一寸過ニ甲板ニ出たら右手ニ至極はるかにカンヂ Candie 島が見えた 此の島は古のクレトといふた処で二三年前に宗徒の争から希と土と戦争をしたのなどは即ち此の島で始まつた事だ 段々近く為つて十一時過ニは大層島ニ近づいて終日此の島を右にして進んだ 望遠鏡で見る 処々に人家などのある処も有る 人家は丸で角な石がならべて有るやうで墓場を望むやうだ 森林のやうなものは一つも見えない 山は云ハヾ禿山で小さな木が有る丈だ 山の上には処々に少しづゝ雪が残つて居る 此んなあつい処の焼け土の山におまけに今頃に雪とは少し不思議に思つた 猟船が一つも見えない所を以て見ると此の島の者は牧畜位で食つて居るものか知らん
 今日は終日海は至極静だ 風も余程つめたく為つたから今日から白い服をやめにした 寒暖計は二十八度まで上つた(八十二度四分)
 午後三時過から二時間計かゝつて船の三等運転手のヴイダル Vidal の肖像をなすくつてやつた 先日一寸かいたのだ わるくなつたから今日それを直してやつた
 夜恒藤 佐藤 青山の三氏と少しく二十一をやつて遊んだ
 地中海の海の色は非常ニ青いと云ふ事だが此の前ニ通る時はそんな事には気が附かなかつたから今度は気をつけて見る 処が余り青いと云ふ程でもない 先づ昨日今日の処では日本の南海の色と同じやうだ 空の色も日本東京近辺の空合と変らないやうだ 今日夕暮の空をながめると四日五日かと思ふ位の月が出て居た 月と云ふものは妙に人に遠方や過去の事を思ひ出させる