1900(明治33) 年6月28日
六月二十八日 (欧洲出張日記)
スエズ港で浮ながら一夜を明かした 朝五時頃に同質の仏人のぢゞいが起て行くので目が覚めた 又つるつるして居ると六時頃に検疫医が来たから甲板ニ出ろと云てボーイが起しニ来たから仕度をして甲板ニ出た 此の検疫と云ふのは只乗客の頭数をしらべる位の事だが中々手間が取れて吾れ吾れが調らべられた時ハ八時頃ニ為つた 色々な物売がやつて来たからスエズの写真だの又古銭などを少し買た 此の地の海の色や山の色などは朝の内も中々面白い 山は赤つちやらけたやうで水は七宝焼の浅黄色だ
昨日アラビヤと亜弗利加の陸を左右に見て通る時アラビヤの山々に日の当つて居るのを見て或る同行の人が雪の山に夕日が当つて居るやうだと云つたが成る程至極尤だ 此の辺の禿山を日中に見れバ日本の雪山の日に照らされているのを見るやうな感がする
午前九時頃に出帆して堀割の中に這入つた 今朝は寒暖計が摂氏の二十五度位で大層すゞしかつたが堀割に這入つて段々進むに随つて暑く為り真昼間はとうとう三十六度まで上つた 華氏の九十六度八分だから暑い筈だ
十七年に此処を通つた時と今と両岸の様子は左程変つた処は無いやうだが其時までは夜は船を進めなかつた為二日かゝつて此の堀割を通り抜けたが此の頃は船のへ先に大きな電灯をつけて夜でも進行する事が出来る 尤も以前は船室など只の油の灯であつたがそれが盡く電灯に為つて仕舞つた
十時半頃ニ寝床ニ這入つて仕舞つた処がいかりをおろす音で目が覚めた 時計を見ると一時前ニ為つて居る 今ポルトサイドに着たものと見える