1900(明治33) 年6月27日
六月二十七日 (欧洲出張日記)
昨夜は珍らしく汗をかゝなかつた 昨夜は一時半頃まで皆をどりをやつたそうだ こう云遊ニなるとどうも夷人のお附合は出来ない 今朝六時頃ニ起て見ると窓から陸が見える アヽもう大分スエズに近寄つて来た 八時頃から左右に陸がずうつと並んで出て来た なんでも此の辺が話ニ有る Passage de la Mer Rouge と云処だそうだ
今朝は寒暖計が二十八度に下つて居る 又風が有つて涼しい 風の為に波は可也立つて居るが船は一向ゆれない
午後八時頃に船がスエズに着いた スエズの港の日入後の空の色は誠ニきれいだつた 地平線の上は薄赤いやうな霞がかゝつて其上は少し黄葉むだやうなすき透つた色でそれから次第次第に青に黄色と赤と入れたやうな至極おとなしい色でそうして其中に明るい星が光つて居た 此のスエズといふ処はミラージユといふものゝ多い処だと云ふ事だ ミラージユは我国の蜃気楼の事だ 空中に町の姿が出現するのだ 此のサラジーの運転手の一人の話ニ或る時空中に異なものが有ると思つてよくよく見たら汽船が波を切つて進んで来るのが例の如く空に写つて居るのだつたそうだ
支那の暴徒一件が益はげしく為つて北京ニ於ける英 米 白の三公使館の外は皆焼け失せ公使の行衛ハ分らず太姑の砲台ハ日 露 英等の為ニ占領されたと云ふ事をきいた