本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1896(明治29) 年11月21日

 十一月二十一日 土 今日ハ旅順口が落て二年目の記念日だ 朝磯谷 伊藤が来昼頃ニ合田 大橋が来た 伊 合の二人とめしを食つた 一時半頃から偕行社ニ出かけた 立食などが有つた あかりをつける頃ニ帰り山王山ニ行き安藤と出逢ひ二人で C.F. ニ行く 佐野が間もなく来た 夫れから段々人がふへた 連中ハ山本 岩村 小代 合田 菊地 吉岡 和田 都合十人 小代とオレハ一番あとニのこり内へ帰つたのが二時半

1896(明治29) 年11月22日

 十一月二十二日 日 十時頃ニ如来がやつて来十一時頃ニ岡田が見へた 岡田と一緒ニ十一時半ニめしを食ひ十二時半の汽車で安藤 佐野の二人と京都へ立つ

1896(明治29) 年11月23日

 十一月二十三日 月 (京都日記) 六時半ニ京都ニ着いた 天気が悪い 七時一寸過ニ木屋町の生庄と云処ニ宿をした 朝めしをやつてゐる処ニ中村が来堀江が来た 皆で堀江の新聞社ニ出かけた それから安 佐 中と四人で松葉亭で昼めしを食ひ四条から建仁寺町松原通を東へ高台寺下ニ出知恩院の中をぬけ粟田口から三条通へ廻つて帰つた 夜食後宿屋からの手引で縄手の吉松とか云茶屋ニ行き十二時頃まで居た 三代子の面も見へた 全体今夜の出来ハ至極悪し

1896(明治29) 年11月24日

 十一月二十四日 火(京都日記) 九時ニ起きたら安藤ハ堀江と話をして居た 今日ハ天気もいゝ 木屋町の住ハ格別也 北本氏ニ父上ヨリの届けものをとゞけさせ十一時前より佐野と中村の内へ行つた 間も無く安藤もやつて来た 安藤 佐野 中村 大八木と五人連で四条通の古道具屋を冷かし一時頃ニ宿屋ニ帰り皆でめしを食ひ三時頃から又皆揃つて渋谷ニ車で出かけた オレハ今度の旅の目的の清閑寺の景色をはじめた 暗くなつたのでやめた 大八木ハ途中で帰つた オレ等四人ハ晩めし 九時頃まで内で話しそれから散歩がてらニ祇園町のバンブウと名けた内ニ行た 非常ニまづい面が一つ出たので大笑した 十二時前ニ内へ帰つた

1896(明治29) 年11月25日

 十一月二十五日 水 (京都日記) 朝佐野が写真の薬を買ニ行き安藤が反物屋ニ行く序ニオレも一緒ニ出かけて合田の注文の半襟を買て行た 一時頃ニ内ニ帰つたら中村が来て居た めし後ニ四人連で清水ニ行き暗くなるまで勉強 それから中村屋ニ行た 今日ハ堀江の京都新聞の開業の祝で御馳走だ 早々引上げて四条のかきめし屋でめしを食た 中村ハ非常ニ酔てめしハ食べず此処から車ニのせて返しオレなんか三人ハ四条通や縄手を散歩して内へ帰り十二時頃まで馬鹿を云て起て居た

1896(明治29) 年11月26日

 十一月二十六日 木 (京都日記) 今日ハ雨で一寸困つた 十一時前ニ堀江が来てそれから中村が来た 皆そろつて島原行としやれた 大ニあばれてやつたのでとうとう舞子が一人大声でなき出した 夜食後宿屋に帰り十一時頃まで堀江が話して行た 中村も堀江が帰つてから後まだしばらく内ニ居た

1896(明治29) 年11月27日

 十一月二十七日 金 (京都日記) 今日も天気がよくない 時々雨が少しづゝ降つて来た 十時頃から下鴨の池ニ散歩ニ出かけ石をひろつたり又買たりして一時前ニ帰つた 中村が来て食事後ニ四人連で又清水ニ写生ニ行き暗くなるまでやつた 宿屋で夜食を食ひ四人で京極から四条通をぶら付き小堀の西洋料理屋でラムネをのみそれから尾張楼へ上る 玉葉ニ逢つた 内へ帰り寝床ニ這入つたのハ一時半頃

1896(明治29) 年11月28日

 十一月二十八日 土 (京都日記) 昼めしを中村 安藤 佐野の四人で先斗町の鳥屋でやらかしそれから清水ニ行た 晩めしニ内へ帰つたら岡田がやつて来た 五人連で吉松ニ行て十二時頃まで居た

1896(明治29) 年11月29日

 十一月二十九日 日 曇 (京都日記) 阿古屋茶屋で四人でめし(安 佐 岡にオレ) 皆ハ清水ニ行たけれどオレハ此の茶屋ニ居て速記録を直した 昼めしニ皆がやつて来たのは一時半頃だつた 四時頃ニ一寸清水ニ行きそれから少々計画をやつた 全体今日ハ西園寺侯への洋行一件の問合せ方で終日安心せずニ暮した 今夜ハ四人連でバンブーを攻撃した 明日西園寺侯見送の為ニ神戸ニ行く事ニ極めた 中村も一緒ニ行くと云ので今夜奴ハ宿屋ニ来て泊る

1896(明治29) 年11月30日

 十一月三十日 月 雨 (京都日記) 朝車でかけて行たが一番汽車の五時二十五分ニ乗り後れ菊岡で朝めしを食ひ六時四十二分ニ乗つた 大阪で一時間半程待たされ又水害で歩いて通る処などが有つて十一時半頃神戸に着いた サラジ号ハもう着いて居た 昼めしを西村でやらかし西常盤ニ行て西園寺侯ニ逢つた 住友吉左衛門氏ニモ逢つた 三時四十分かの汽車で京都へ帰つた 着いたのハ七時頃 めし後中村ハ帰つた 皆で今夜ハ万亭ニ出かけた 此処ニ一泊 皆ハ雑魚寝の刑ニ処せられた オレ丈ハたすかつた

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