1892(明治25) 年11月26日


 十一月二十六日 土
 今日ハ終日美陽家の庭で葡萄酒を徳利ニ入れ方をして暮した 之レハ鞠の企で奴と組合で五十二リトル入の樽ヲ一ツ手ニ入れたのだ 昼めし後ニ鞠の内ニ豆茶を飲みニ一寸と行た 夜食ハ美陽家で御馳走ニ為る 夜食後鞠の処でクレプをこしらへて遊ぶ 十時十五分前頃迄居た 霜菜を奴の門口迄送て行きそれから内へちよいと立寄り忘れもの〔原文旁書(新聞紙ノ事也)〕を取り直ニ飛ヒ出し橋向ニ行て安心ヲ得た オレの部屋ニ極楽が付て居ネへのハかへすかへすも残り多い 今朝の便で着たものは日本から母上様のお手紙と
 三百円の為換券だ難有てへ
 お手紙ニ鹿児島の父上様が国分八幡の宮司ニお為りなされた事が記して有つた 大慶至極也 昼後の便で白耳義から川村が手紙をよこした