1892(明治25) 年11月10日
十一月十日 木 今日ハなまぬくい天気也 朝ハ一寸いと日が出たが昼後ハ曇 終日明家敷で勉強す ひるめしハ矢張鞠の料理の羊也 夜食後霜菜の内ニ夜話ニ行く 九時頃ニ帰る それから日本へ出ス母上様への手紙ヲ書く 一時過ニ床ニ入る
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
十一月十日 木 今日ハなまぬくい天気也 朝ハ一寸いと日が出たが昼後ハ曇 終日明家敷で勉強す ひるめしハ矢張鞠の料理の羊也 夜食後霜菜の内ニ夜話ニ行く 九時頃ニ帰る それから日本へ出ス母上様への手紙ヲ書く 一時過ニ床ニ入る
十一月十日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしはやつぱりまいにちごちごちべんきようをいたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし いつかおくつてあげましたゑもとゞきましたよしあんしんいたしました こんどのゑハあんまりおきニいりませんとのこといたしかたハございません らいねんハいろいろなゑをたくさんおめニかけますよ こんどのふねでいわむらさんといふひとがにつぽんへかへつていきます そのひとハもとかごしまのけんれいをしていたいわむらさんのむすこだとかいふことです いまはきようとにすまつてをるとのことです こちらでハやつぱりあぶらゑのけいこをしていたのです わたしなんどゝハせんせいがちがうもんですからぱりすでもあんまりつきあいハいたしませんでしたがこないだてんちようせつのおゆわいにこうしくわんででつこわしましていろいろはなしをいたしましたらちかぢかのうちニにつぽんへかへるとのことそれぢやおたちなさるまへニちよつとわたしのをるいなかニあそびニおいでなさらぬかといゝましたらくるとのことニてすぐそのよくよくじつニやつてきました わたしがいまかきかけてるゑをみせるやらなニやらしてそれからちいさなにぐるまをかりてそれをろばニひかせこのきんぺんのけしきのいゝやまのなかにあそびニいきました かへるときにハもうくらくなつてしかのこゑなどがあつちこつちニきこへました そのばんハこゝにとまつてよくあさの一ばんきしやニのつてかへつていきました そのいわむらさんハはじめハあめりかニいつてをりそれからこつちへけいこニきたのです おとつあんがごびようきなのでかへるのだそうです だがまたぢきにこつちへくるとゆつてをりました(後略) 母上様 新太拝