1892(明治25) 年11月29日
十一月二十九日 火 終日霧雨 久米公へ三百仏送る 手本代家賃かれこれ都合三百三十仏の払ヲして仕舞ふた 朝も昼後もちよいと画部屋ニ行たがなんニもせず鞠の処ニ行てぐつぐづして居て茶など御馳走に為る 夜食前ニ半分かけ足でブーロンの停車場ニ久米へ送る本の包ヲ持て行た 夜は美陽家で屁の話を聞く 川村へ出す手紙ヲかく 奴から此間 うでのねき黒田まあるをひねり見れば恋しき君のすかたなりけり 黒田トコムシとしてよこしたから 其返歌を読でやつた うてのかハむらさき色ニなりぬるハ虫ニ食ハれし跡とこそ知れ