1892(明治25) 年11月25日


 十一月二十五日 金
 ぽしやぽしや雨ノ天気だ 朝ハ昨朝の様ニ画部屋ニ行て布の張り直シ方をやる 和郎が来て居た 昼めしハ鞠の内で食ふ 昼後画部屋で霜菜を手本として描く 和郎は日記のかきかけを画くと云のでずーと来て居た 四時頃ニ画をやめて和郎と舟遊ヒニ行く 後和郎ハ例の如し おれの処ニ七時少し過迄居た 美天の小僧を汁粉飲みニ連て来たら和郎と非常ニふざけた そうして仕舞ニ帽子ヲ目ニうちつけられて哭きそうニ為たから直ニ奴の内ニ送り帰へす 和郎が帰ると直ニ食ヒ物を美陽家ニ取りニ行き夜食す 今夜ハ霜菜が小牛の肉ニ人参ヲ入れて煮て呉れた 食後美陽家ニ行たら鞠と霜菜とどつちがてにはの間違の少ない文章ヲかくと云うぬ惚の云ヒ合最中也 中ニ入つて書取りをやらして見ると大抵似たり寄たり 先づ議論のやり損と云可シ 後銭の表裏の当つこなどして遊ぶ 鞠等を奴等の門口迄送て行て九時少シ過ニ帰る 今日久米 河北からの水曜の晩附の手紙届く 十二時頃迄かゝつて久米公等へ出す手紙ヲかく