1892(明治25) 年11月15日


 十一月十五日 火
 天気よし 朝九時少し過美天の妻が巴里ニ立て行ので別れを云て来たから一緒ニ美陽方迄行て見送る 後屋敷ニ仕事シニ行く 和郎がやつて来たが直ニ帰て行た 昼めし後一寸宿屋ニ立寄る 二時頃から夕方迄霜菜を手本として仕事とす 和郎 ブツフアールと舟遊をやらかす 五時半頃から七時頃迄和郎が内ニ帰て話した オレが筆を洗ていたら霜菜がそうつと来てオレを驚かそうと思ヒわアツと云たからオレが二階ニ和郎が居ると指したらあつちやこつちらニびつくり大笑 七時半頃から八時少し過美陽方にて寿とカルタを取る それから宿屋ニ行て九時半頃迄和郎のしやべるのを聞く 帰へる前ニ野ニ行て極楽浄土 内へ帰て久米へやる手紙をかく 今朝新二郎へやる端書を鉄道局の箱ニ入れて呉れと美天の壺ニ頼で出す

同日の「久米圭一郎日記」より
十一月十五日 終日雨ナリ