1892(明治25) 年11月14日


 十一月十四日 月
 朝の便で久米 川村 寺尾等へ端書を出す 朝めしハ宿屋で食ふ ひるめしハ穴蔵也 食後和郎と鞠の処ニ酒徳利一本持て行く 外聞が悪いと云て其切角持て行た徳利を又持て帰る事さ 後庭で四時迄勉強す 朝も一時間半程やつたが和郎が居たのでいつもの様ニハ身が入らず 和郎が我が内ニ来る或ル人ニ出す手紙の下書だと云テ奴の色事ニ付て今迄起た事の云ヒ訳とどうかして親達が婚礼を承知して呉れる様ニ世話して呉れと云頼みの文の長たらしいものを読で聞かした 今日ハ非常ニ天気がいゝので草原ニふつてる露が日ニ照らされて青だのなんだのの色ニきらきらして居るのを見ながら聞て居た処で一句浮だり
  世の中ハ秋のあれ野ニをくつゆのきえうせぬ間の色々の玉
 四時から五時半頃迄和郎と散歩ス それから和郎が内ニ来て六時半頃迄話す 今夜のめしハ霜菜がちやーんとこしらへて置て呉れたから心配なし 和郎が帰たので直ニめしヲ食ヒ始メた 殆んど食ヒ終らんとして居る処ニ昨日如類寿が釣た魚の料理したのを一皿霜菜が持て来て呉れた 食後美陽家ニ一寸行き後宿屋ニテ九時半頃迄和郎 ブツフアール(巴里の美術家)と夜話ス 昼後の便で新二郎からの手紙が来た うれしい

同日の「久米圭一郎日記」より
午前コルドリー辺ヲ探シ歩ク 午後林檎ノ枝研究十一月十四日 晴天風立ツ