1896(明治29) 年2月16日


 二月十六日 日 (京都日記)
 今日ハ田舍遊ニ出掛る覚悟で手本連ハ皆断つて置た 十二時頃に吉川嘉平が東京の直左右を云ニ来又一時頃ニ渡邊氏の執事林田逸三氏が来た 此の人の案内で売屋敷を三ケ所程見て四時頃から今日の目的の地へ向つて進発した 八瀬ニ着た時ハ六時だつた 京都から此処迄ハ車ニ乗つて来たが腹がへつたので豊田と云めし屋ニ腰をかけ車引を相手ニ酒をのみ茶漬を二杯やつゝけそれからぼつぼつ歩いて大原へ向つた 直ニ夜ニ為つて仕舞ヒ三日月が左の山の上ニちよつと描た様ニ出て山が段々青黒くなるニ随ひ月がひかる 人通りのちつともない山路中々よし 大原村ニ入り椿茶屋と云ニ一泊
〔図 写生帳より〕