本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年8月27日

 八月二十七日 晴天なり (箱根避暑旅行日記) 朝飯後写真器携帯にて散歩を為す 午後ハ読書に時を費し夜は月白く一昨夜よりハ一層好き夜なり

1901(明治34) 年8月28日

 八月二十八日 (箱根避暑旅行日記) 早朝晴天昨日の如し 然るに九時頃に至り一片の煙湖上に横ハりしかと思ひしに急ち屏風山も塔ケ島も霧中ニ消えて湖水ハ全く大洋の如くに為りたり 早昼にて一同宿へ出懸けたり 又土産物を買入れ拙者は髪を剪り髯を剃る 同伴の文子は両三日前より少しく不快なりし故今日此の宿にて医師に診断を乞い薬を得さしめたり 例の如く四時頃ニ焼麺麭を食ひ紅茶を飲み五時半頃元箱根ニ帰り来る

1901(明治34) 年8月29日

 八月二十九日 曇なり (箱根避暑旅行日記) 読書 手紙書き等にて暮らす 午後昨日の医師来診 此の医師生国は越後なる由語られけれバ先頃逝去せし向井太市氏の事を思ひ出して悲し 宿屋料理に飽今晩は鶏の汁をつくりて食ふ 此地の食物にて一番味好きものハ鶏にして肉甚柔かなり 之れハ全く若鶏を用ゆるが為なり ○さしみ(かじきまぐろ) 洗ひ(鮒) 鳥なべ いりとり(異名同物) わんもり 茶碗盛(異名同品) ヲムレツ 蒲焼 之れが武蔵やの板にして十日より今日に至る殆んど二旬此の間決して変更する事なき献立なり 料理に変化少なきハ田舎として猶我慢する所有れども種も亦依然たりと来てハ実に辟易するなり 夜雨戸にはめ込みの硝子より外を見れバ中元の月清く湖面を照らして雪の積りたるが如く白し

1901(明治34) 年8月31日

 八月三十一日 (箱根避暑旅行日記) 風のある事今日も昨日も変ハらず 頭痛は止み仕合せ 弥明日は当地引揚の事と取極めたれバ諸方へ手紙を出す 連の者共皆荷造等ニ忙ハし

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