本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年8月19日

 八月十九日 (箱根避暑旅行日記) 風冷にして秋の風らしく覚ゆ 今朝は宿に行かんと皆々仕度までしたるニ空合怪しく為り雨降り来りたる故遂ニ宿行きは取り止めたり 併し雨は通り雨にて間も無く霽たれバ権現様ニ参詣し神主ニ頼み諸木像を一覧す 曾我兄弟の像 三仙と称する古代人物の像 親鸞上人作 弘法大師作 其他両三体なり 三仙の像尤も雅致有り 兎ニ角平凡の作ニ非ず 午後近所の転物師横山と云ふ者の細工の様を写す 夜湖上にて煙火を打ち上げ又往来に小間物玩弄物等の見世二ツ三ツと眼鏡芝居一つ見世を張りたり 煙火は村の若物共より宮様方へ御覧ニ入れる為めにて実ハ此の煙火の為めに見世物は出でたるなり 眼鏡といふ見世物は拙者等の児供時代ニハ東京ニても沢山見しものにて佐倉宗五郎 八百屋お七 石川五衛門などを色々やつてみせたもんだが此頃は全く見へなく為つた 然るニ今夜遇然眼鏡を見て殆んど竹馬の友に出逢つたやうなり 今夜の眼鏡は大江山が主にて始めニハ将門 羅生門等をやり最後に東京の千両役者を見せたり 看板は皆押絵にて立派なり 今日は旧暦の七夕に当るなれども此地に於てハ更ニ七夕祭を為す者無し 田舎ニハ珍らし 夫れとも新暦の七月七日に更めたるニや 本日午後時事新報社の用向にて都鳥氏来訪

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