本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1901(明治34) 年8月9日

 八月九日 (箱根避暑旅行日記) 今日も上天気ニハ非ず 底倉行と極めて九時半頃に三人は人力車にて出懸け拙者はぼつぼつ歩行す 一時間程登つて富士見亭に到る 去三十二年の七月の始めに小代 久米 岩村 佐野 菊地 高島と拙者と七人にて遊びニ来りし時此の茶見世に休みたり 其当時の事を思ひ出し婆さんは達者かねと尋ねたるニ婆さん相変らず丈夫にて今年七十三歳 十六七の給士女を二人も置いて中々の御繁昌なり 然し今日ハ箱根山一里登れバ富士見のお茶屋と云語を自作の法界節なりと称して歌ひ且つ躍りたる時よりいやにまじめになり 此処に二十五分間程休息して汗を乾かす 是れより少しく登れバ大平台の一村落なり 茶見世多し 人力車三台続いて下り来るのに出遇い何心なく乗りたる人を見しニ二番目の車に乗りたる美人は京都一力の中居某なり 先にても気が着きハアツと云ひしが下り坂の事とて其儘行過ぎたり 十一時半頃底倉涵琴楼蔦屋に着す 昨日人を以て約束し置たる座敷ニ通る 此の座敷ハ蛇骨川に向つて見晴らし好し 十畳八畳三畳の三間を貸し呉れたるなれバ四人にハ広過る位にて結構なり 其代りニ席料一日十円なる故到底吾々のお歯にハ合ハざるなり 三十六計走るニ如かず 即ち明日は此の名策を実行することに決す 午後木賀の辺を散歩す

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