1901(明治34) 年7月3日
七月三日 今晩竹沢太一を呼で赤坂八百勘にて馳走 連中ハ久米 佐野 岩村 合田 小代等也 巴里にて御馳走ニなりし返礼なり
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
七月三日 今晩竹沢太一を呼で赤坂八百勘にて馳走 連中ハ久米 佐野 岩村 合田 小代等也 巴里にて御馳走ニなりし返礼なり
七月十八日 今晩学校の庶務会計等の官吏七名及洋画科助教連を久米と二人で上野精養軒ニ招待
七月二十三日 品川沖にて網打の催有り 主人ハ竹沢也 朝約束の時間に会する事能ハず 午後合田と二人にて出掛く 遂に連中ニ出遇ハず
七月二十六日 藤島に招かれて湯島天神前にて支那料理の御馳走に為る