1901(明治34) 年8月29日
八月二十九日 曇なり (箱根避暑旅行日記)
読書 手紙書き等にて暮らす 午後昨日の医師来診 此の医師生国は越後なる由語られけれバ先頃逝去せし向井太市氏の事を思ひ出して悲し
宿屋料理に飽今晩は鶏の汁をつくりて食ふ 此地の食物にて一番味好きものハ鶏にして肉甚柔かなり 之れハ全く若鶏を用ゆるが為なり
○さしみ(かじきまぐろ) 洗ひ(鮒) 鳥なべ いりとり(異名同物) わんもり 茶碗盛(異名同品) ヲムレツ 蒲焼
之れが武蔵やの板にして十日より今日に至る殆んど二旬此の間決して変更する事なき献立なり 料理に変化少なきハ田舎として猶我慢する所有れども種も亦依然たりと来てハ実に辟易するなり
夜雨戸にはめ込みの硝子より外を見れバ中元の月清く湖面を照らして雪の積りたるが如く白し