1892(明治25) 年11月17日


 十一月十七日 木
 朝ケシの葉ヲ研究す 昼後ハ肖像 夜食後ハ美陽家に行てから宿屋ニ行く 加奈陀人のキルナと米人のコリンが着て居た お酒ナドの御馳走ニ為り九時半頃迄話ス コリンハ二年振計に此の村ニ来たのだ 親しく付合た事ハネへけれど米人中でハ中々いゝ奴也と思はる 内へ帰てから小説ナド読み十時頃から日本へ出す手紙を書き始む 一時過ニ床ニ入る 和郎の色事一件の略を書てやつた 和郎ハもう自分の身の上話をすつかりブツフアールニして仕舞たそうだ ブツフアールも和郎のしやべる事ニハ閉口して居るとの事 話し好きと云者も随分困たもんだわい

同日の「久米圭一郎日記」より
港ヨリ上リタテ坂ニテ枯レ木ノ画ヲ始ム 面白シ 午後コルドリー辺探索ニテツブス 宿ノ庭ニテ林檎酒製造ノ騒キ初マル十一月十七日 晴天