1892(明治25) 年11月10日


 十一月十日附 グレー発信 母宛 封書
 (前略)わたくしはやつぱりまいにちごちごちべんきようをいたしてをりますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし いつかおくつてあげましたゑもとゞきましたよしあんしんいたしました こんどのゑハあんまりおきニいりませんとのこといたしかたハございません らいねんハいろいろなゑをたくさんおめニかけますよ こんどのふねでいわむらさんといふひとがにつぽんへかへつていきます そのひとハもとかごしまのけんれいをしていたいわむらさんのむすこだとかいふことです いまはきようとにすまつてをるとのことです こちらでハやつぱりあぶらゑのけいこをしていたのです わたしなんどゝハせんせいがちがうもんですからぱりすでもあんまりつきあいハいたしませんでしたがこないだてんちようせつのおゆわいにこうしくわんででつこわしましていろいろはなしをいたしましたらちかぢかのうちニにつぽんへかへるとのことそれぢやおたちなさるまへニちよつとわたしのをるいなかニあそびニおいでなさらぬかといゝましたらくるとのことニてすぐそのよくよくじつニやつてきました わたしがいまかきかけてるゑをみせるやらなニやらしてそれからちいさなにぐるまをかりてそれをろばニひかせこのきんぺんのけしきのいゝやまのなかにあそびニいきました かへるときにハもうくらくなつてしかのこゑなどがあつちこつちニきこへました そのばんハこゝにとまつてよくあさの一ばんきしやニのつてかへつていきました そのいわむらさんハはじめハあめりかニいつてをりそれからこつちへけいこニきたのです おとつあんがごびようきなのでかへるのだそうです だがまたぢきにこつちへくるとゆつてをりました(後略)
 母上様  新太拝

同日の「久米圭一郎日記」より
昼後庭ニテ描キ婚礼ノ一隊ニ妨ケラル十一月十日