1901(明治34) 年8月20日


 八月二十日 (箱根避暑旅行日記)
 朝より吹降にて雨戸を開くる事叶ハず 不愉快な天気也 其上頭が痛く終日ごろごろして暮らす 今日は某華族が底倉辺より此の武蔵屋へ来る由にて武蔵屋にてハ大騒ぎ也 内へ泊つて居る客ハ全くそつちのけにて総掛りにて接待を為す 即ち誠に申兼ましたがなどと云挨拶を並べて吾々の処よりも或る物品を巻き上げたり 一体此の箱根温泉場にてハ一種の不思議な習慣が有つて何様がお泊りに為つて居りますとか或ハお出に為る筈だとか云て只縉紳の名前を吹聴して其家の高尚なるニ誇らんとす 而して各旅店の設備の不完全なる実ニ驚くべし 食物の不良は申ニ及バず 万事不行届なる事多し 流石に福住は常ニ縉紳ニ接し居る故ニや何々様の広告を為さざるのみならず諸事行届きたり 先づ今年処々の宿屋の亭主や番頭が二た言目に云ひ出すことハ底倉の蔦屋ニテハ岩倉様御滞在木賀亀屋にてハ大鍋島様へ離座敷御貸切元箱根ノ武蔵屋にてハ昨年ハ御分家の井伊様御泊り被遊本年は岩倉様六十人にて御小休相成筈云々とこんな下らない事を述立てるよりも寧ろ牛鍋の一つも時々は食へるやうな運ニやつて貰ひ度きものなり 何しろ日本流の宿屋事業の児戯ニ近き実着の方法を以て利を得ることを為さず 当に為らざるお茶代を当にするなど思へバ随分可笑しく又気の毒なり