1904(明治37) 年5月21日

前約に依り一時半本郷帝国大学文学会にて講演をなす。聴衆頗る多数二時開演す。最後福地桜痴氏の阿古屋の琴責の講評で燈がつき、後に旧御殿にて晩餐の御馳走になる。上田万年と姉崎正治及三上参次等主人役であつた。食事中は福地先生の懐旧談で五千足の武者草鞋処分の奇話があつた。九時過になり解散、車の用意を受けて十時に帰宅した。

1904(明治37) 年5月23日

今朝早起七時半より大崎村に赴く。先日黒田に学校洋画科恤兵展覧会へ何か出さうといつて置いたから其画を探すために行つたのである。色々かきかけのものなど集めて八枚斗出来たからそれを纒めて頼んで帰る。午後磯谷の処に行つて見たが体がわるいといつて元気のない顔付をして居た。額を目黒に取りにやる事と其仕立て方とをいひつけた。それから八官町小林時計店に廻つて帰宅。三時過生出亀之進といふ先生が約束によりやつて来た。軍事画報の挿画の事で頻りに退治つけよふとしたが、ついに藤島と和田に紹介の名刺をやり文章を引受けて御免を被る、随分魂気のいゝには驚いた。夜大学院学生垣内松三といふ立派な羽織袴の若旦那が尋ねて来た。始めは先日の講話の挨拶に来た事と思つて待遇したが段々聴けば是から洋画を研究して見たいといふ特志であつて、若し出来るならば美術学校の撰科に入りたいといふのである。それから色々稽古の方法など話した。此若き人は垣内雲〓といふ美濃の画家の養子であるとの事、中々有福な事であると見へる、八時過まで話していつた。

1904(明治37) 年5月24日

今日は考古学の支度に時間がなくなつて大に閉口したがどふかこふかやつてのけた。電車で大雨の中をやつていつたか無事に講義の時間を充たし、一時間も彫刻史の課外講釈をやり五時半過に帰宅す。夜田中氏のお梅さん来訪す。それから忘れたが今朝永峯の婆さんが昨日頼んで置いた苺を持つて来たので早速御殿に献上に及んだところが大分評判がよかつたそうだ。苺ももう盛りは過ぎた。

1904(明治37) 年5月25日

今日も電車にて出校す。講義後職員生徒を第一講義室に集めて校長の演説があつた。戦争について世界の同情を得る必要がある事を長々と説明せる挙句、ペリイ紀念資金を軍人の援護の目的に使用するため、米国人の発企にて彼地にて義損の勧誘をするから、此挙に対して感謝を表するため公私各学校集りて決議をなす筈にて本校よりも之に参同して代表者を出席せしむるといふ話であった。帰路降雨甚だし。

1904(明治37) 年5月26日

朝の内は降つて居たが昼頃には大分明るくなつて自転車で出掛ける事が出来た。課外講義を四時半に済まして五時過に帰宅。入浴。食事をまだすまぬ内小泉が攻めかけて来た。例の如く小代を呼びにやり一会す。

1904(明治37) 年5月27日

午前一本松増田氏を尋ね広渡氏戦死の弔辞を述べる。おあさどのは風邪にてやすみ居たり。秀島夫人も来合せ久し振りで面会す。御亭主は北海勤務なる由。午後こまを連れて日本橋辺まで出掛ける。丁酉支店に立寄り株券を受取り、白木屋にて買物をなし、帰路例々橋善にて食事をなし、六時過に帰宅した。

1904(明治37) 年5月28日

前約に依り午後一時過より一つ橋商業学校に催ふせるぺルリ彰諠会に出掛ける。米人のお世辞的演劇に過ぎないのである。例の大隈伯の演説は大出来であつた。伊藤のは気焔揚らずといふべきなり。四時半散会す。

1904(明治37) 年5月29日

昼後佐野来り、小代を訪ひ三人で散歩、附近の植木屋をひやかし、又青山御所前の草花を見る。中々綺麗な花が沢山あつた。一寸佐野がゼラニオムを買ひはじめてから小代も媼さんの調子の佳いのに乗せられ、終にはわれも引込まれてナデシコを一鉢とそれからセキコクを一つ七拾銭といふのを五拾銭に負けたのでしよいこみになる。媼さんは息子が兵隊になつて居るから、娘と二人女手で商売をして居ると話した。三人とも左右の手に植木鉢をブラ提げて帰つて来た。小代の処に立寄つたが、内から小供が二度ばかり迎に来たといふ事で必定小泉が来て居るのが分つた。何しろ植木を持つたので大にくたびれたから一と休して五時過に帰つて見ると小泉高信がこまを相手にして既に始めて居るのであつた。間もなく小父さんも来て大に賑ひ野田岩の丼飯の注文が遅くてやりながら食するに暇なしである。

1904(明治37) 年5月30日

昼前に竹沢来訪ロメーヌとレーチユを沢山貰つた。豌豆飯を喰う事をすゝめたが三十日勘定で忙ケ敷といふて帰つた。昨今金州南山占領の詳報続々達する。死傷三千五百余なりといふ。夜は恵智十に再度出掛ける。入りは七分通小さんの話は面白い。名古屋芸妓の合奏及踊りは一寸よかつた。久吉叶小三とんこ外一名。

1904(明治37) 年5月31日

朝は少々怪しかつたが昼から持ち直して風になる。自転車で出校。今日で考古学の講義は最終とした。夜は十番から芝公園あたりまで散歩した。太々餅がしまつて居て当てはづれ。

to page top