1904(明治37) 年5月11日

千万磅外債募集条件愈発表せられた。六分利にして手取九十磅とは実に情ない条件の様だが、併し実際の処正貨欠乏で止むを得ない次第である。それに戦争に勝つても斯ふ信用がなくてはだめダ。昼後学校出勤五時帰宅。小泉待受けて居つた今日の号外は旅順の爆声を聞くと云司令官報多分露艦自ら破壊せるならんとの話。六時半頃小代も来る。飯後に開場おぢさん万歳である。珍らしく十時にしまつた。

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