1904(明治37) 年5月15日

今朝は八時まで寝た。咽喉を損じ塩剥含嗽をなす。十一時頃大村西崖来訪、愈二十日の船で渡米するといふ。岩村も同船との事。午後銀座辺まで歩き修髪買物などをして三時に帰宅すれば竹沢が来て待つて居た。後程なく佐野小代も来集す。竹沢の房州地方情況談は大に悲観的である。債券を村民に割り当てたる方法などを聞けば、現今財政の基礎は随分怪し気に思はれる。戦後の結果については多少懸念なきにあらざるべし。九十九里浜の漁民は生活困難を極め古縄を粉末にして食餌とする位であるという。是等の窮民救済法を議するために、明日千葉県庁より大多喜まで旅行する由。例会は四時頃に開く。五時半頃高島大人も来り、間もなく四ツ辻の三ツ星に晩食に出掛け七時過に帰宅す。前約の小泉翁は八時半頃になつて参加し総て七人となる。併し十一時過には解散となつた。大なる輸〓を見ざるも近来の大会に相違ない。

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