本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1895(明治28) 年1月31日

 一月三十一日 (従軍日記) 今日ハ此処ニ滞在ノ命下りたれバ先づ温泉ニ面洗ニ行 此の温泉と云ハ河原ヨリわき出るものニテ丁度いゝ加減の温サ也 日本ナドなれバ中々こんなニ打すてゝ居る可き処ぢやないが只河原の砂地が半まい敷計くぼめ夫レカラ其湯が川ノ水へ流れ込む様ニ小さナ溝が掘て有る計りナリ 此の温泉が此の地の名と為りし事明也 全体支那の景色ニハオレハ感伏して居ルガ中でも此ノ温泉湯などハ素人も好くいゝ景色也 温泉ノ有る辺カラフエイテンへ向つての景色久米の一昨年京都で描た加茂川ノ画ニよく似たり 少シ写生ニデモ出懸て見様カナド思つて居ル内ニ霰が降り出シ間モ無ク雪と為り風も盛ニ吹き出したから内ごもりと極む 皆ノムチヤニしやれるのなど聞て笑て暮す さてしやれも笑もはたと止で仕舞ヒ皆々考へ込だハ大寺少将と一人新聞記者が昨日戦死したる報ニ接したる時也けり

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