本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1895(明治28) 年1月3日

 一月三日 (従軍日記) 外套ノボタン付ナドしたり 午後写景の為郊外ニ出懸たり 寒風甚だつよし 夕方南門外ニテ十二三の小僧が来て地ニ膝をつき何か云てオレニ願事ヲスル様だから其案内ニ依て行て見ると極きたなき破れ屋より四十以上の婆が小供沢山引連れて出来り オレの来たのを喜びし相様ニテ家の中に案内したり 元より言葉ハ一つも分らず 其手まねや面付を見るニ屋の片隅の真暗ナ処を指す相様牛馬でも病気したるをオレが通りかゝりたるを見て医者と見て取り治療を乞ふものと思ハれたり なんだかめいわく也と云気ニ為て其暗い処を杖の先にてつゝいて見たら馬でも牛でもなく人也 人ハ日本の人足ニテ赤毛布ニつゝまれて土間にねて居る 不思議千万 病気かと聞けば病気ニ非ず 酔たるものニしてハ言語明也 どう云訳だと聞て見るニ あたしハ兵站病院から参りましたと云のでさつぱり分らず いよいよ面倒だと云気ニ為たから打棄てゝ家を出んとしたるニ前の婆が小供を打ていかぬから是非此の人を外ニ出しテくれと云様だから又内ニ入り人夫ニ向ヒ手前ハ乱暴をする様ナ事を聞がどう云ふんだと聞くニ いゝゑ決してそんな事ハ有りません 此の内の奴等がわたしをじやまニして出てくれと云て大騒ぎするのでございますと答ふ 其処でアヽそれならいゝ 何か不都合な事があつたら直ニ役所ニ届け出るがいいとゑらそうニ云ヒすてゝ帰りたり 内の者共此の話を聞てそれハ変だ 第一人足が独り毛布を被土間ニころがつて居るのハあやしむ可き事だ 行政庁ニ届けるがいゝと云ので直其足で行政庁ニ行く 之レと云のも□□□□(原文不明)の話が盛ニ有るから此の人夫の野郎も何かたくみ有つてかくきたなきあばらやの中ニごろりとして居たるものかとのうたがひを蒙りたるもの也 行政庁より憲兵を一人派遣せられたるニ依りそれを案内して前の家ニ行きよくよくしらべて見るニ人夫ハ決してあやしむ可きものニ非ず 全ク支那人奴等がつまらぬ訴をしてじやまニ為る客を逐ヒ出さん事を試みたるものと知れたり (欄外 今日より金州ニテドンを打つ)

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