本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年3月22日

 三月二十二日 月 今日もモデル相手で仕事した 今夜高島ニ御馳走の仕返しをしてやる事ニ為つてゐるので夕方ニ為つて集まつて来たのハ先づ高島それから佐野ニ安藤 道鏡も来て居て一緒ニ行く事と為る 伊藤も出品掛として一緒だ 都合六人 途中で合田が加り七人 烏森の扇芳亭ニ入る 小代と久米が来 皆で九人ニ為つた 出品が大小三個で一寸盛ニ出来上つた 十時半頃ニ為つて帰り途で小代 合田 道鏡で本陣へ立ち寄り一時ニ内へ帰る

1897(明治30) 年3月23日

 三月二十三日 火 学校ニ出 昼めしハ白瀧と山の下の西洋料理 めし後ニ二人で絵画共進会を見ニ行た 内へ帰り植木の下知などした 夜食後ニ杉が来 十二時まで話して行つた 合田も九時半頃から二三十分間程来て居た

1897(明治30) 年3月24日

 三月二十四日 水 朝九時半頃起ると直ニ風呂ニ入り朝めしのシヨコラをやつて居る処ニ表具屋などが来てとうとう昼までハ仕事ハ出来ず 昼めしをやつて仕舞た処ニ父上がお出ニ為つた 昨日の金貨本位決議の話などが出た 一時過から取かゝつた 岡田三郎助がやつて来 夕方までアトリエで遊で行た 未だ仕事を仕舞ない内に久米と道鏡が来 又菊地来た 此の人数で赤阪の金子でめし 吉岡が一緒ニ為り皆道鏡の本営ニ押かけ十一時半頃ニ帰る 少し許速記録の直し方などやつて一時半頃床ニ入る

1897(明治30) 年3月25日

 三月二十五日 木 夕方まで例の如く画をかく 道鏡がでろれんを二人雇つて来たから吉岡 菊地夫婦ニ小供 合田ニ婆様 直右衛門 横の小供連等を集めて十一時頃まで聞た 今日臨時博覧会事務局と云のから手紙が来て仕事の嘱託をされた

1897(明治30) 年3月26日

 三月二十六日 金 雨 学校ニ出 校長ニ面会 又授業 青陽楼で昼めしを食ひ姉様のお注文の香水買ニ銀座へ行き久米をたづね一時間計話し夕方内へ帰る 松波が来 道鏡が来 めし後ニ三人で本陣を攻撃し十一時頃帰る

1897(明治30) 年3月28日

 三月二十八日 日 雨 終日小さい方のモデル相手ニくらす 道鏡が夕方ニ来 合田も一寸来た 道鏡と金子でめしを食ひ本陣ニ立寄り十一時半頃ニ又道鏡と内へ来て十二時まで話した

1897(明治30) 年3月29日

 三月二十九日 月 晴 今日ハモデルのお幸が来て居たけれども画をかく暇なし 其故は朝から来客 先づ安藤 松岡 午後ニ至つて堀江 佐野 岡田 白瀧 加地木 杉又伊藤も来た 伊藤ニ礼金 20piasetre 渡した 又杉がうづらを五匹持て来て呉れた 夜食ニ安 堀 佐 杉と五人で出かけ食後ニ本陣ニ来会したのハ五人の外ニ吉岡と合田 十二時頃帰る

1897(明治30) 年3月30日

 三月三十日 火 雨 朝仕立屋が来 其用が済で学校ニ出た 昼めしに長原 湯浅 岡田の三人を引張て青陽楼ニ行た 其れから農商務省 三年町の九鬼氏等へ廻つて内へ帰る 夜食後杉 道鏡と来て十二時帰宅

1897(明治30) 年3月31日

 三月三十一日 水 お幸を相手ニ午後のみ仕事す 夜食ハ金子 夫れより十一時半頃まで佐野 道鏡 菊地の三人と一緒 十二時頃ニなつて菊 佐ハ已ニ去り道と二人ニなつた処ニ小代 久米が入り来りしばらく一緒ニ話をして別れた

1897(明治30) 年4月2日

 四月二日 金 雨 朝中村を引張て学校ニ行き昼めしハ藤島 佐野 安藤 和田 中村と青陽楼でやらかす 夜ハデロレン祭文で集まつた者ハ吉岡 佐野 杉 合田 小代 其外中村ハ勿論居たが菊地の妻と合田の妻が来た

1897(明治30) 年4月3日

 四月三日 土 朝高島が来た 今日ハ朝の内ハ少しハましな天気だつた 手本の花が来て少し仕事した 昼めし頃から菊地が来て居た 夜食ハ金子で 仲間ハ道 菊 滑 中 佐 食後木午楼で十二時半頃まで雑談

1897(明治30) 年4月4日

 四月四日 日 晴 今日のモデルハお幸だつた 来客ハ渡邊環 杉 合田 佐野 小代 伊藤 又林政文が台湾から帰つたと云て来た 夜食は金子 連中ハ合田 小代 中村 佐野 後角屋ニよる 合田ハ早く帰り中村ハ酔つて別れ十二時過ニ皆別れ内へ帰つてから中村と三時まで夜話した

1897(明治30) 年4月5日

 四月五日 月 晴 堀江君が十二時前ニ別れニ来た 一時ニ博覧会事務局の会議の席へ出た 帰りニ久米の処ニ寄り中村と一緒ニ為り三人で清新軒でめし 後銀座をぶら付き堀江と出逢ひ箱館屋ニ入り中村と歩いて内へ帰つたのハ十一時過 一時過まで話をし二時頃ニねる

1897(明治30) 年4月6日

 四月六日 火 雨 中村と学校ニ出 久米も来て三人で小鹿島と云女学者(渡邊環氏の姉)の慈善会ニ寄り一時頃ニ青陽楼ニめし食ニ行き後又慈善会ニ行つた 松波と出逢ひ五時頃まで会場ニ居りそれから芝琴平町の清遊亭で晩めし 十時頃ニ内へ帰り中村と一時頃まで話した

1897(明治30) 年4月7日

 四月七日 水 雲 朝九時半頃ニ博覧会の事で学校ニ集り安藤と午後内へ帰り杉が来 杉 安 中と四人で米福で晩めし 後ち道鏡茶屋ニ立ち寄る

1897(明治30) 年4月8日

 四月八日 木 夜 雨 モデル花が来た 今日二枚目の裸を仕舞つた 晩めしニ杉 中村と伊豆屋ニ出かけ久米 合田 岩村と一緒ニ為り後ち合田のアトリエニ集り礼記の事から議論が起り十一時頃ニ為りそれから杉 岩村 中村 菊地が内ニ来て岩と菊ハ一時過ニ帰り杉ハ二時まで話し中村と三時半頃まで起て居た

1897(明治30) 年4月9日

 四月九日 金 雨 学校に出 杉と精養軒で昼めし 久米の内へ行き岩村 中村と一緒に為り礼記を研究し中村 杉と三人で金六亭で晩めし 後ち本陣へ攻め込み十二時前ニ内へ帰る 杉も来て一時頃まで居り一時半まで中村と話した ねたのハ二時

1897(明治30) 年4月10日

 四月十日 土 晴 モデルハ来たが仕事ハ出来ず 午後かへしてやつた 藤島が来 岩村も来 午後ニボカボカ人が来 夜食ニ米福ニ会した者ハ佐野 小代 菊地 久米 合田 岩村 中村 杉 安藤 オレを入れて十人 九時半頃ニ杉 中村と内へ帰る 杉ハ十二時過まで話して行た

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