本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1897(明治30) 年3月3日

 三月三日 水 朝笄ニ今度鹿児島志布志より来た手紙を持て行き相談して帰る 帰ると間も無く大久保利武が樺山伯からの便で父上への伝言を頼みニ来た めし後ニ新二郎を頼で笄へ行て貰つた 三時過ニ大熊が来 晩めし後まで居て帰る 今日ハモデルは朝から来て居たが一向かけず 昼後に少し仕事した 夜食後杉 合田 松波 菊地等が集り十一時頃まで二十一をやる 合たハ十二時まで話して帰る 夜皆が帰つてから母上とストーブの前で四方山の話 母上からオレの Maman naturelle ニ付ての成行等を聞た

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