1892(明治25) 年11月20日


 十一月二十日 日
 朝十時半頃ニ古巣の処ニ行く 二三日前からひネくつて居る人形を見す 古巣がオレの大きな肖像用ニ夏の景色を二枚程かして貰れた 古巣の妻君がオレの額ニ描くばらの花を取りニシヤドビツクの留守宅ニオレを連れて行つた 門迄行たが鍵を取てる婆がのらニ出て居ネへので内へ這入訳ニ行かずそれから鞠の処ニ古巣の妻君を連て行てオレのかきかけの肖像を見せた 色々面白い意見を云て呉れた 昼後ハ其肖像を手本なしでいぢくる 又寿と池に網を引た 小さな魚が二三匹取れた計也 三時半頃から和郎が来てしやべる 四時半頃ニ昼を仕舞て内へ帰る 和郎七時頃迄話す 夜食後直ニ美陽家ニ行き米の菓子の御馳走ニ為る 後宿屋ニ焼酎買ヒニ行く 村の若い者共六七人台所ニ集て豆茶など飲て居たので皆ニ酒を一杯づゝおごつてから美陽家ニて御みきを戴きながら十時少し前迄話す 鞠と美天小僧を奴等の内迄送ってから又宿屋ニ立寄る 和郎ハ早寝て仕舞たとの事 ブツフアールトコリンニ逢ふ 昼後の便で久米公からの手紙着 奴の為換券が這入て居た 夜の十二時十五分頃迄かゝつて久米と河北へやる手紙をかく 今日ハ大きナ肖像の額の中のケシの葉をすつかり消て仕舞た

同日の「久米圭一郎日記」より
午前税関坂枯レ木ヲ図取ル 午後Jeau du bomler十一月二十日 晴天寒気大ニ進ム