1892(明治25) 年8月21日


 八月二十一日 日
 今朝いつもより少し早く起きる 曾我ヲ一足先キニ出して置てふとんなどむちやくちやニ散らかつて居るのを少し直し七時半頃ニ宿屋に行き三人連で朝めしヲ食ヒ八時頃ニ前以テ申付ケテ置た兎馬の車ヲ引き出シたり 清泉の森の狼が谷ニ遊ぶ 桜田が今日どうしても立つと云ので荷物ヲ序ニ停車場ニ持て行た 帰へりニハマルロツトの方を通た 十一時半頃ニ暮ニ帰り付く 直ニ宿屋で食事をやらかす いよいよ桜田ハ二時の汽車ニ乗ル積りで立つ 宿屋からオレの内迄送て行き別る 奴ハ巴里でハ宿無しだから内ニ来て泊る様ニ御本城の鍵ヲ渡シテ置く
 めしヲ食て仕舞て豆茶と云段ニ為た時ニ女芸者(手本ダの引張だのと云者ハ日本の芸者の類)サラブルンヲ招デ茶の相手ヲ申付ク 後曽我ト舟ニ乗り少しく川ヲさかのぼりよき木蔭ニ舟ヲ停メテ一寸眠る 中々心地よし それから又少シク釣ヲやらかす 内へ帰つて此間からたまつて居ルよごれた皿や鍋の洗ヒ方ヲやらかす 序ニ又日本めしをつくる 曾我が米ト砂糖ヲ買ヒニ行た なんニも野菜が無いのデ曾我が散歩ニ行た序ニベトラブヲはたけで盗で来る 之レデ漬物でも作ろうと云事ニ為ル 少し切テカンデ見ルト甘い様でそんなニ悪くハ無い様だ アヽ夷人ナンテ馬鹿ナもんダなぜこんなものを毛だもの計ニ食ハして置くのだろうなんかんて悪口ヲ云フ 其内曾我が試ニしほとすでもんでみると大変土くさくて中々食へるもんぢやネへ とうとう食ハぬ事とあきらむ 食後縁日ヲ見ニ行く 今日から例年の祭が始つたのだ こんな面白クネへ不平ナものハ先づ天下ニ少し 今年の祭いつものより盛なりと云ものハ小学校の新築が出来上つたので其開業式ヲ兼たれバなり なんとか云元老院議官先生が頭で演説が有るやら奏楽が有るやら又大御馳走が有るやら大騒ぎ 夫レニ付てハ処々方々近所の郷の者等が集つたりと云もんだろうぢやネへか 村でハ上を下へとびつかきまわした大騒ぎ ブルス氏夫婦と一緒ニぶら付く 後宿屋の門先ニ腰掛ケテ麦酒など飲む 十一時半頃ニ別れて帰る なんでも寝込だのハ一時半頃だつたろうと思ふ オレも随分好な性分だ こんナ祭だとかなんだとかつまらぬ事ニ人が騒で居るのを見るとなんだか腹が立つた様ニ為ていかネへ こまつたもんだわい 曾我ハ今夜宿屋ニねる