本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年8月16日

 八月十六日 火 朝の便で新二郎の手紙と巴里の御本城の門番から送て来た久米公からの電信ヲ受取ル ひる後の便で母上様へ手紙ト日記ヲ出し横浜開通社へ向ケ船積証書ヲ書留で送ル 又久米公へ端書で電信の返事ヲ出す 後桜田氏と釣ヲ試む 夜鞠屋方ニテ少しく話す 又桜田と散歩ス

1892(明治25) 年

 八月十六日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたしハこのごろハいなかニをります どうもこの五六日のあつさニハまことニへいこう あせがでてかないません こないだのにつきのつゞきをおくつてあげます ことしのきようしんくわいのためニかきましたゑを一まいおくりました このてがみのつくころニはとゞくだろうとぞんじます よこはまの開通社といふところニあてゝだしました そのかいつうしやからうちニとゞけてくれるでしようとぞんじます このをんなのゑハきようしんくわいでハことわられましたけれどもわたしハずいぶんほねをおつてかきましたのですからどこにだしてもまたひとがなんとゆつてもはづかしくハないつもりです がくぶちハとりはづしたゞゑだけをくりましたからがくぶちハそちらでこしらへさしてくださいますようニ父上様ニ申上げてくださいまし ひのきのまさめかなんかたゞきぢのまゝのがくぶちのほうがきんぱくなどのついたのよりよつぽどよろしうございます またくろぬりのふちでもいゝでしよう なニしろかざりのないものニかぎります 父上様のおかんがへどうりのものでけつこうでございます そのかいてあるかほのをんなはこゝのいなかでよくしごとなどしてたいそうしんせつニせわをしてくれるやつですがこのごろハびようきニてよつぽどよくようじようしないとなかなかよくハなるまいとのことまことニきのどくなことです さくらださんといふひとがこの二三日まへからこゝニあすびニきてをりますのではなしあいてがあつていゝことです まづこんどハこれだけ めでたくかしく 母上様  グレより 新太拝

to page top