本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年8月22日

 八月二十二日 月 今朝八時頃ニ曾我の野郎が来て起した それから一緒ニ朝の豆茶を飲みニ宿屋ニ行く 朝中曾我が釣ヲするのを見て時ヲ過す ひるめし前ニ一寸水ヲあびる オレのあとで曾我も少しおよぐ 又宿屋でめしヲ食ふ 食後ブルス氏の処へ豆茶ヲ頂キニ曾我と出懸く オレがいつかモガロ新聞ニ出シた画の下画などを持て行て見せてやつた 四方山の話ヲして一時間半近く居て帰る 曾我と又昨日の如く舟で昼寝ニ出懸く 今日ハ風がちつともないので昨日程ハすゞしくなかつた 昼後の便で久米公へ端書ヲ一つ出す 近々の内ニ是非島へ行くと云てやる 七時の汽車で曾我が帰へるので少々早やばやと宿屋でめしヲ食ふ 停車場まで送て行く 豚屋の下人が豚車で停車場迄行くのニ出逢ヒ一緒ニ乗て行ケト云ので其通りやらかす 帰りニハ一とまわりして墓場の方へ出る ブーロンの小道ヲ通て帰る 友達ハ皆帰て仕舞ふシ世間ニハ祭が有ル 体ハなんだか労レた様ニして居ると来たので畜生今夜ハもう直ニ寝て仕舞へと思ヒ被物をぬぎ足など洗ヒさつぱりと為て寝床の上ニごろりとして居る処ニ鞠屋と美天の小僧の声が下の土間ニするから直ニ飛ヒ起き股引を突込み下ニ下りて見ると今都合がよければ会計の帳面付ケヲしたらどうだと云 面倒だが借りなどヲ払ふのハ此の上もない結構ナ気分がする事だから大喜ビ 直ニ仕度して奴等の内ニ行き勘定をすましたり 序ニ金も替へてもらつた 五百仏の内二百丈取て三百預ケテ置ク

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