1891(明治24) 年6月26日


 六月二十六日 金曜 (独仏国境旅行日記)
 今朝七時十三分之気車ニ乗らなけれバならないので五時半頃ニ起た やつぱり雨がしよぼしよぼ降而居るわい ホツフエル親子三人と一緒ニ朝の珈琲ヲ飲で立つタ ホツフエルハ停車場迄送而来た 深切ナ奴ダ ロウザンヌで車ヲ乗り替仏国の方ニ近クニ従ヒ段々と天気がよく成り暑くなりて来タ ポンタルリエで又車ヲ替此処で荷物の検査有り 之レヨリ仏国の車と成る 三十分位の止まり故一番糞などひつてゆつくりとした もう丁度十二時だから冷肉ニパン及酒などを買て気車の中ニ持て這入た 停車場の中のめしやで食ふと一人前三仏から四仏位も取られるのニこう云具合ニすると二人で二仏位のもんだ 中々以テ倹約ダゾ 其上せわらしくいそいで食ハズニゆつくりとして歌ナド歌ヒながら食ふから徳ダ それからムシヤルで一寸下りて珈琲ヲ一杯飲だ 日がカーンと当て実ニあついあつい 四時半頃ニヂジヨンニ着 此のヂジヨンと云処ハ大学校ナドノ有ル一寸シタ都会 此処ニ二時間程待たナケレバナラナイので町見物ニ出掛く 不思儀ニもいつかトロワニ着て珈琲屋ニはいつた時ニ居た新聞の種取りニ行逢た 二人連レデ居やがつた 奴の友達ト云奴ハ二十五六の男で詩人ヲ気取て居るのだ 新聞屋から見ると少シハ知恵の有ル奴ラシク見ヘタ 奴等の案内で停車場の前の日本の楊弓屋と云体裁の音楽などをやるいやアーな珈琲屋ニ行ク 引張ナドガ四五人も居た 処で種取の野郎がいやニ通人振て引張などニ麦酒ヲ飲ませるやら又雑談ヲ云ふやらして独りで気取て居やがつた 実ニ俗ナ畜生ダ 其者ガトロワで深切振て教て呉レタボウジユ県のなんとか云天然ノ吹キ出シ水の有ル名所ヲ見ニ行タカト聞タから拙者共ハ少し急イダカラ乍残念其処ハ見ナカツタと云てやつたら大不平サ 先づイゝカゲンニごまかして奴等と別れてから町を少し見る 六時四十分の気車で巴里へ向ふ 夜食もまんまと気車の中でやらかし又或る停車場で麦酒など飲だ 夜中ねむられず