本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年5月1日

 五月一日附 パリ発信 父宛 葉書 三月十三日母上様よりの御手紙先日相届拝読仕候処皆々様御揃益御安康之由奉大賀候 次ニ私事大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 共進会も昨日開会相成候 私も友人二人伴ひ出掛け申候 中々盛なる事ニて出品人の外ニ招かれし人又銭を払て見物ニ来し人等総ニて昨日中ニ一万七千五百人とか来しと申事ニ御座候 金持ちの女子などハ新しくつくりたる春の被物を毎年此の共進会の開会の日より被始むるとか申事ニて皆々非常ニめかし居よき見物ニて有之候 男ハ大抵高帽ニて候 余附後便候 早々 頓首 父上様  清輝拝  御自愛専要ニ奉祈候

1891(明治24) 年5月6日

 五月六日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)このまへのしゆうかんのげつようびにくめさんと一しよニいなかからかへつてまいりましてからハがつこうでたつた一どゑをかいたばかりでなまけてをります まるでなつやすみニでもなつたようなあんばいです それといふのもゑのはくらんくわいがはじまりましてそのかいぎようしきニいくやらまたぎんこうにおかねをとりニいくやら しやくせんをはらうやら こうしくわんニおかねをもつていつてあづけるやら それからまたにつぽんのゑをかいてくれとたのまれたのがありましたからそれをかいてもつていつてやるやらなにやらかやらにてなかなかいそがしく一にちたち二かたちしてとうとうまるで一しゆうかんあすんでしまいました どうもこんなことでハまことニいけません しかしもうたいていつまらないめんどくさいようじハすんでしまいましたからこれからまたいなかニひつこんでかきかけてをいたをんながよなべをしてをるゑなんどをかこうとおもつてをります くめもきのふぼあにゆびるといふいなかにたつていつてしまいました たつたひとりニなつてまことにさみしいことです それでもう一ときもはやくいなかニひつこみたくなりました いなかでハしじゆうひとりをりつけたもんですからひとりをつてもそんなニさみしいことハございませんがこのぱりすでひとりニなりぽかんとしてをるのハまことニいやです それでてほんでもやとつてまたなニかうちでかきはじめようかとおもひましたがまづこれもとうぶんおやめニしてとうとうまたいなかにひつこむことゝいたしました あしたのあさの九じごろのきしやでたつていきますつもりです(後略) 母上様  新太拝

1891(明治24) 年5月15日

 五月十五日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしことこの一しゆうかんほどいなかニてべんきようをいたしてをります このごろハてんきもよくなりまたたいそうあつくなりました まるでもうなつです これからまたほねををつてべんきようをしなければなりません ことしハぜひなニかをゝきなものをかこうとおもつてをります をゝきなものをかくようニなりますとどうしてもゑかきべやをかりなけれバならないようニなります そうするとまたまたおかねがよけいニかかります しかしどうもしかたがございませんよ きのふハうしのゑをかきました なかなかおもしろいことです どうもうしなんかハじつとしてをりませんからなかなかむづかしゆうございます うしをかりてそのゑをかくのニそのかりちんをださなければなりませんよ 一じかんニにつぽんのおかねで十七八せんもとります なかなかたかいものです あさとひるごとすこしほねををつてべんきようするとぢき一ゑんぐらいとられてしまいますよ それですからなかなかうつかりとしてハをられません よつぽどべんきようしないとそんです こんどハまづこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじになさいまし またかまくらニでもたびたびおでかけなさいまし かまくらニハかゞをりますかどうです

1891(明治24) 年5月22日

 五月二十二日附 パリ発信 母宛 封書 またぱりすへちよつとかへつてまいりました そのおんちにてハみなみなさまおんかわりなくおげんきのはづおんめでたくそんじあげまいらせ候 わたくしこともいつもあいかわらずげんきでございますからどうぞどうぞごあんしんくださいまし このごろハやつぱりまいにちてんきがわるくなかなかそとなどでべんきようをすることなどはできませんしそれからこのごろハまたもうひとつゑのはくらんくわいができましたからそれをみるためかれこれニちよつとこゝにかへつてまいりましたのです あしたハせんせいのうちにいつてかいてきたゑなんどをみてもらいそれからあさつてハまたいなかへかへつていつてべんきようをするつもりです このごろハもうそちらでハもうよほどおあつくなりましたでしようとぞんじます かまくらなどハさぞよいことでしようよ こないだあるひとニにつぽんのゑをかいてくれとたのまれまして七八まいちいさなゑをかいてやりました そのゑハゑいりしんぶんのようなしんぶんのゑニでるそうです もしそのしんぶんがでましたらかつておくつてあげませうよ こないだにつぽんでじゆんさがろしやのてんしのむすこニきりつけてけがをさしたといふことがしれましてしんぶんニもいろいろなことをときどきだします そのじゆんさがきりかゝつたときのゑだとゆつてきみようなおかしなゑをしんぶんニだしましたからおくつてあげます まことニばかなゑです(中略) いなかでわたしのてほんニなつてくれたをんなのやつニしんもつをしてやるのニなにをやろうかとおもつてかんがへてみましたがなんニもくれるようなものハありません それからだんだんかんがえてみましたところがそのやつハまだとけいをもつてをりませんからとけいをひとつかつてやろうというかんがへがでました さいわいこんどにつぽんのゑをかいたのでおかねがすこしとれましたからこれさいわいとそのおかねでちいさなとけいをひとつかつてやりましたらおゝよろこびをいたしましたよ まづこんどハこれぎり めでたくかしく 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし

1891(明治24) 年5月29日

 五月二十九日附 グレー発信 母宛 封書 みなみなさまおんそろひおげんきのはづおんめでたくぞんじあげまいらせ候 わたくしことハだいげんきにてべんきようをいたしてをりますからごあんしんくださいまし このごろハやつぱりいなかニをりますがまいにちおてんきがわるいのでそとでおもふようニべんきようをすることハできませんよ こんどハなんニもかいてあげるほどのことハございませんよ こないだひまのときニまたまたくさぞうしのつゞきをすこしうつしましたからおくつてあげます まだなかなかかんぢんなおもしろいところニハいきませんよ またそのうちニつゞきをかいてあげます けふまたしんぶんニでたにつぽんのじゆんさがろしやのひとをきるところのゑをおくつてあげます こちらのやつハにつぽんのじゆんさがどんなようすをしてをるかさつぱりしらないのです それからしんぶんニかいてあるのニハそのじゆんさのやつがふいニろしやのひとニきりかけたところがそのろしやのひとのいとこのぎりしやといふところのひとがつゑでそのじゆんさをうちたをしてしまつたとかいてございます いくぢのないじゆんさですねへ せつかくいのちをはめてやるのニつゑで一とうちニうちたをされるなんかんといふのハまことニこまりますよ こんどハこれぎり めでたくかしこ 母上様  新太拝  せつかくおからだをおだいじニなさいまし めでたしめでたしめでたしめでたし

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