本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年6月18日

 六月十八日 木曜 (独仏国境旅行日記) 昨日は此のゼラルメの近所の名所を見てあるいたが今日ハ之レから少し隔つた山々をへめぐる覚悟で包ハ此処の宿屋ニ頼み置き只雨合羽を一つ持て行く 朝十時頃ゼラルメを立つ 村を出で少しすると森有り 其中に平たき岩一つ有り 昔しシヤルヽマーニユと云白髯の生へた立派なこわい様な仏蘭西の天子がどこかの国を征伐して帰る時此処を通り此の大きな岩ニ腰を掛けたりとなん 総而昔シのゑらい奴ハ大抵皆岩だとか大木だとかを片身ニのこして行くのがくせなるが如し 又其岩や大木なんかニ必ズ手や足の跡を付て置く様だ シヤルヽマーニユの様な年代者の上ニ名高い親爺が残して置た片身の石の事だから何ニかのかたが付て居るニ違ヒなしと思ヒ色々見たが何にも無シ どう考て見ても腰をかけた時ニ尻の跡ハ付いたニ相違なけれど其跡の今日ニ存在せぬと云ふものハハハアー立つ時ニ大きな屁を一つひつて其尻の跡を吹き消シて行たらしく思ハる 千歳の遺憾とハ此事なる可し 此処ニ又一つの不思議有り 此の森ニ入るや否いかニも糞がひり度為た そこで又其シヤルゝマーニユの昔しを能々考て見て其時の有様やなんかを及ばぬながら想像すればシヤルゝマーニユぢいが此の森ニ入りたるハ全ク糞をひる為メニテ岩ニ腰打ちかけたるハ糞をひつて仕舞ひ安心して一寸憩ヒたるなり 併しそうして見ると今糞をひつて来てそれから五分も立たない内ニ尻の跡を吹き消す程の屁が出たろうかと云うたがいが起る そうなつて来ると拙者ハ歴史家でも医者でも無いから一寸返詞に苦しむわい 世間のもの知りニ聞て見ろと云より外ニ手はないぞ(中略) 此の森の下ハ川ニなつて居る 其川の縁迄下つて見た 谷川の風を為して居て一寸面白シ それより其上流に在るソウデキユブの滝を見る ロンジユメールの湖のコツチから行ケバ右岸を廻りルツールヌメールの湖を差して進む 其途ニて蜂三四匹ニ囲まる 一生懸命前後左右へ身をかハし秘術をつくしてとうとう三匹共たゝき殺した 非常な手柄をやらかした様な心地す 併し人と云者ハ弱いものだ 其蜂を殺したのハいゝが同類の蜂が仲間のかたぎ遁かすなよと攻て来ハすまいかと云念が起りなんとなく気味悪くなり早足ニて行き去る ルツールヌメールにて又滝を見る 茶屋へ行着たるハ一時頃也 此処にて昼めしを食ふ 名物のトリユウイツト魚を食ハせた 三時半頃立て山道を行く 又滝を一つ見る 之レより次第次第に昇り五時頃ニホネツク山の頂上に達す 此の山が此の近辺で一番高キ山ナりと云 其高さハ一千三百六十六メートル也(一メートルハ我三尺余也)成程其筈だ 此のあついのニ雪がまだ消えずニ残て居た 其雪の積て居る処を始メテ見た時ニハ何分ニも不意を食た事故驚た それから其雪をどうかして一つ食て見度いと云考が出た 此の辺の山ハ奇体ニテ仏蘭西ニ向つて居る方ハベラットして段々上る様ニ成て居るが独乙の方のがわはツーンと切ツた様ながけニ成て居る 其何十丈と云高いがけの上ニ雪が積て居るのだから一つすべるとそれこそ大変さ 其上此の辺ニハ木ハ一本も無く小さな草みた様な木みた様なものゝ枯れた様ニして居るのが一杯はへて居り其上を歩るくと只でもずるずるすべる まして崖の上の少し丸く為た処ニ行て之レから一つ足をふみはづすとおしまいだと思ふと猶更足が変ニ為る 併し何分ニも雪がぢきそこの処ニ見へて居るので一寸一とつかみ取て食ひ度為る 遂ニ大憤発脚半をはづし靴と足袋をぬぎす足と成り久米公と二人でごそごそはいながら下りとうとう拙者が先づそうといつて手をのばし二つかみ食た そうすると足のうらの辺からいやーなこそぐつたい心地がして来た こいつハたまらぬと思ひ大いそぎで又一握り取り久米公ニ渡し早々はい上つた 之レ亦奇談也 又其辺ニハアネモヌと云草花が沢山有る 今それが一ぱい咲いて居る 香ひよし 其アネモヌハいつか小さい時ニ都の城ニ行てよめじよと云のを見たのをかすかニ覚て居るがあのよめじよの種類だと思ふ 併しよめじよと云のハ紫の花で其花が散たあとが髪の様な風ニ為て居るのだと思ふが此のアネモヌの花は少し黄みを帯で居る白い花だ ホネツク山を六時頃ニ立ち山伝で国境の筋ニついて進む 此の山山の頂上が七十年以来仏独の国境と為て居る也 其国境と云印ハどうして付ケテ有ルかと云のニ丁度花壇か公園地などの中ニ付て居る道の様ニ幅二三尺計り深さ三四寸計りニ地が堀て道が付ケて有る也 そうして又其道ニ五六町も有るかと思ふ程ノ処毎ニ一里塚の如き角石の高さ一尺五寸位の柱が立て居る 其石柱の頭ニ線が一と筋掘り付ケテ有ツテ国境なる事を示し而又其柱の東西の両面ニハ仏国のフの字と独国のドの字が掘り付ケテ有るなり 凡ソ七時頃ニシユルフトと云処ニ着す 此処ニハ宿屋一軒有ルノミ 其宿屋ハ中々以テ立派也 亭主の野郎ハ日本デ云つたら士族のあがりとでも云ヒそうな奴でおせぢのない奴だ 下男など燕尾服にて給使す 其代りニお値段が少々張り舛 是非も無し 此宿屋ハほんの国境の処ニ建て居るから一足出れば直に独逸国だ そこで夜食後独逸国内を少しく散歩す〔図 写生帳より〕

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