本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年6月15日

 六月十五日 月曜 (独仏国境旅行日記) 朝八時の気車ニテミルクールヲ立ち九時少し過エピナルニ着ス 市を一通り見物し停車場前の料理屋ニテ昼めしを食ひ十二時半頃の気車ニテサンジエと云処へ向つて発ス 扨テ今見テ来たるエピナルハ兵営ナド有リテ一寸盛な処也 川のふちの公園地ハ夕涼みニ結構ならんと思ハれたり 又此のエピナルより東ニ行くニ従ヒ土地の高低次第次第ニ多く日本風の浅くして流れ強き川など有り面白くなる サンヂエニ着た時ハ二時半頃と覚ゆ 宿屋さがしを始むる前第一ニ珈琲屋ニ入る やがて一人の若者入り来つて拙者等のわきニすわる 其者ニ久米氏言葉を懸け画工にてロベルと云者此のサンヂエニ住むと聞きしが貴公ハ其画師を御存しなきやと問ひたるが始めにて色々と話しをやり出しとうとう其者が道案内をして其辺で一寸面白イ処を見せて呉れる事と為りたり 成程滝など有つて静かないい処也 其若者ハ建築学をやる者ニテ名をカリヤージユと云ヒ年ハ二十五歳也と云 深切ニ処処引廻し呉れ後ちロベルと云人の家迄教て呉れたり 言葉遣ひがツンツンして怒つたる者の如く又何事も心得て居ると云体裁一種のヘンコツと見へたり 其者ニ別れてロベル氏を訪ふ 扨て其ロベルと云人ハ一昨々年久米がバルスローヌの博覧会ニ行た時イスパニヤ国の或る処の宿屋ニて出逢ひ知合ニ為りたりと云 ロベル氏幸内ニ居り久し振りニ久米ニ逢ひたりとて大喜ひ今晩ハ一緒ニ食事ス可し 又宿屋も未だ極めずニ居るなら安くていゝ処を周旋す可し 併し今ハ少し用事が有るから乍残念共ニ散歩する事不能 今より夜食時迄ハまだ時も有れバ少しく市中などを見物し夕方になつて再び来らずやと云ひたり 故ニ拙者等ハ前ニ見ぬ処を見物ニ出懸けたり 其ロベル氏のおかげにてよき宿屋ニ入りたり 此の内ハめし屋が本職にて宿屋ハ内職と見へたり 又今夜のめしハロベル氏の御馳走也 深切な奴だ 食後共ニ大通りを散歩す 糸取の工場を持て居ると云老人ニ出合ヒ其者を伴ひ四人連にて珈琲屋ニ行く 其老人も中々さつぱりとしてよき奴也 今度ハ其老人がおごつた 仕合也 茶屋を出て老人ニ別れ後ロベルを奴の内迄送て行きそれから又久米と昼カリヤージユの案内で見ニ行た滝の有る処の手前の方からぐるりと一廻りやらかし宿屋に帰つた 途中で少し雨ニ降られた 寝る時ハ已ニ十時半頃也 今夜ハ久米と別々ニ部屋を取る 今迄ハ倹約の為メニ始終一つ寝台ニねたが今夜ハロベルが世話で部屋を二つ取たから別別ニねる事と為た 夜中ニ雨が強く降た

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