本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1891(明治24) 年7月3日

 七月三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしことハいつもだいげんきにてさる二十七日のあさの四じすぎにぱりすへかへりつきまして二日ほどぱりすにをりそれからすぐニこゝのいなかニまいりましてべんきようをはじめました あとげつはまるであすんでくらしましたからこれからよつほどほねをおつてやらなけれバなりませんよ いませつかくきよねんのなつかきかけてをいたおんなのたつてをるおゝきなゑをかいてをります なかなかむづかしゆうございます このゑをぜひことしハかきとつてしまをうとをもつてをります なニしろおてんきがすこしつゞいてくれなければこまります(後略) 母上様  新太拝

1891(明治24) 年7月18日

 七月十八日附 パリ発信 父宛 葉書 六月四日并ニ九日の御手紙難有拝読仕候 御全家御揃益御安康之由奉大賀候 私事至而元気昨日田舍より巴里へ帰り申候 又明日田舍へ引返す積ニ御座候 今度ハ只金受取と日本へ帰る人の為ニ今夜公使館ニて送別の宴を開くとの二つにて出掛申候 今日のあつさハ中々強く候 田舍にてハ下衣一枚で居り候へ共巴里の市中でハそんな様子も不出来閉口の至に候 早々 頓首 父上様  清輝拝

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