1892(明治25) 年9月23日
九月二十三日 金 日本へ手紙ヲ出ス 又写真ヲ三枚送る 鹿児島の父上様 直左衛門さん及ヒ橋元千代へやる 終日手紙ヲかいた
本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。
九月二十三日 金 日本へ手紙ヲ出ス 又写真ヲ三枚送る 鹿児島の父上様 直左衛門さん及ヒ橋元千代へやる 終日手紙ヲかいた
九月二十三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしこともだいげんきニてさる十七日にぶれはと申しまからかへつてまいりました なかむらさんと一しよにかへりましたからとちゆうもさみしくなくよいことでした それからなかむらさんハすぐニべるじつくのほうへかへつていきました くめさんハひとりでぶれはじまへのこつてをります しまでのはたごだいだのまたかへりのきしやちんなどみんなくめさんニたてかへてをいてもらいました このなつぢゆうかゝつてほネをおつておりますなつのすゞみのゑハなかなかむづかしくどうもよくできそうでございませんからこのゑハまづしばらくうつちやつてをいてまたほかのものをかきはじめようとおもつてをります なニしろしたがきのまゝでせんせいニみせてみてなんとせんせいがおつしやるかまづせんせいのおかんがへをきいてみようとおもつております なニしろゑのことでいろいろしんぱいするほどおもしろいことハございません(中略) なニしろらいねんハかへつていきますからまつていてくださいまし かへりましたらだい一ばんニあなたさまおんはじめこどもなんかのかほをかいてがくニしてかけようとたのしんでをります(後略)〔図 写生帳より〕 母上様 新太拝