本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年9月10日

 九月十日 土 (ブレハ紀行) 十時半頃ニ朝めしを食てから昼めし迄の間ハ日本の新聞を読だり又少し散歩などした 五衛門草を海岸ニ干すのを見たりなんかした 箱を持て久米公と次郎公が北海ニ釣ニ行のを見ニ行た それから夕方五時過ニ水ニ這入た 出た時ニ霧雨が降て心地悪し 宿屋ニ帰て一杯頂く 夜食後散歩して帰て来てから茶を久米の部屋ニ取りよせて飲む 久米と共ニ河北へやる端書をかく 今日ハ大ニ腹の用心をして食も少しひかへめニ食ひ又昼ニも晩ニも葡萄酒を取て飲だ 十時半頃内ニ帰へる それから寝床の中で日本へ出す手紙や清泉駅への手紙を書きおそくなる

1892(明治25) 年

 九月十日附 ブレハ発信 母宛 封書 (前略)わたしハいまハぶれハと申しまニをります くめさんとなかむらじろうさんといつしよニをりますからなかなかおもしろいことです べんきようのできないときニハつりなんかしニいきます わたしハつりハまことニへたすつぽにてまだ一ぴきもつれません くめさんとなかむらさんハよくつります それからたいていまいにち四時はんか五じごろニしほをあびります からだのためニよほどよろしかろうとぞんじます けつしてあぶないようなところであびるのぢやございませんからごしんぱいニハおよびませんよ ながくこゝにをるつもりぢやございませんからおゝきなゑハかきません ちいさなゑばかりかいてをります こんげつの十五日ぐらいニハぱりすのほうへかへつていこうとかんがへてをります こゝでハともだちがあつておもしろうございますから日がなかなかはやくたちます わたしがこゝにきましてからもう二しゆうかんニなりました(後略) 母上様  ぶれはじまより 新太拝

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