本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1889(明治22) 年12月6日

 十二月六日附 パリ発信 母宛 封書 (前略)わたくしことハいつものとうりげんきにてまいにちがくこうにいつてをりますからどうぞごあんしんくださいまし このごろハこちらもよほどさむくなりましてこないだはつゆきがほんのすこしばかりふりました とうとうまたことしもこんげつぎりとなりました そちらでハくれになつていつものようにおいそがしくなりますことゝぞんじます このまへのびんから父上様へ申上げましたとうりこないだひきこしをいたしました そうしてまたきよねんのようにくめさんといつしよにすまつてをります にぎやかにてまことによろしゆございます(後略) 母上様  新太

1889(明治22) 年12月20日

 十二月二十日附 パリ発信 父宛 葉書 益々御安康大慶の至奉存候 私事至極壮健勉学罷在候 乍憚間御休神可被下候 此頃ハ当地毎日の雨天にて誠ニ閉口 冬中ハ毎年此の通りニ御座候 先頃より一種の風邪の如き病気流行にて大抵皆少しづゝ此の病ニ引きかゝり申候 私も一両日わづらい申候 御地ハ如何ニ御座候也 此の病気横浜辺へも流行するやニ承り候 此の週間終日学校にて勉学致し候間いそかしく候 草々 頓首  清輝 父上様

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