1890(明治23) 年7月12日


 七月十二日附 パリ発信 母宛 封書
 (前略)せんじつくぼのぼんちゆうがどいつと申くにからちよつとあすびニきてをりましたからわたくしもいなかからでゝいきましてあいました このゑさんといふおかたとくぼとニにつぽんめしのごちそうをいたしました(中略)
 わたしはこのなつはこゝのいなかでくらそうとおもつてをります それについてハやどやにしじゆうをるのハなんだかおもしろくございませんからどこかひやくしようのうちをかりてそこにねとまりをしようとぞんじます さいわいわたしがやとつておりますてほんになるおんなのあねのうちがあいてをるとのことにてそれをみにいきましたらちいさなうちにてわたしがねとまりをしてをるだけにハもつてこいといふうちですからそれをかりようとぞんじます まづはいりくちニどまがございましてそれからだいとこがついてをります そのだいどころのすミニはしごがかゝつてをりまして二かいニのぼりますとそこがねべやでございます たつたそれだけのうちですからごくちんまりといたしてをります(中略)
 わたしがたのんでてほんにしてをるおんなといふのはとしはまだ十九か二十ぐらいだそうですがせいのたかいことまことにふしぎにてほんとうののつぽでございます わたしはようやくそのおんなのかたのたかさぐらいきりやございませんよ このせいようじんのなかでもちよつとめニたちますからにつぽんニでもいつたらそれこそみせものにでもなるだろうとぞんじますよ こんどハまづこれぎり めでたくかしこ
 母上様  新太
  せつかくおからだをおだいじニなさいまし