1890(明治23) 年2月20日


 二月二十日附 パリ発信 父宛 封書
 一月四日同七日附の御手紙慥ニ相届拝読仕候 御全家御揃益御安康大慶此事奉存候 次ニ私事不相変大元気勉学罷在候間御休神可被下候 当年の共進会への額面いよいよ明日より着手の積ニて今日手本頼み置き候 共進会出品の期は三月十四五日と承り候 或ハ其時迄ニ出来上り兼ぬるかも不知申候 先つ其辺の処ハ後としてなる可く勉強仕心得ニ御座候 先便より端書を以て一寸申上げ教師より受取候金ハ百三十仏計ニて花の代運送賃及び当地にて私より払ひ候雑賃(マルセール港より当府迄の運賃其他)等ざつと計算致し候ものニ御座候 自分の方より注文したる者故是非受取置呉れと申す事ニ御座候故其儘受取申候 あれこれ入用多き際即ち学資と致し使ひ申候間左様御承知被下度奉願上候
 横浜植木屋ハ荷作り余程上手にて牡丹ハ箱の内にて芽を出し居候 教師大喜びニ候 又御尊公様并ニ虫明様へ度々御手数相掛候段よろしく御礼申上呉れとの事ニ御座候 不日御礼として同氏の写真差上度と申居候 当時海浜の図を写すが為め仏国の南方へ旅行中ニ御座候
 御地にてハ昨年来内閣のかわりだの何だの色々面倒な事多く有之候由実ニ政治社会の事ハ不思議の事のみ私共ハ余計な事ニ心配不仕只学問第一と致し候 早々 頓首
 父上様  清輝