1890(明治23) 年3月13日


 三月十三日附 パリ発信 父宛 封書
 二月四日ノ御尊書并に同七日附母上様よりの御手紙いづれも慥ニ今日相届き難有拝読仕候 御全家御揃益御安康の由奉大賀候 四五日前市来氏当地着 早速相尋ね御直左右など委しく承り安心仕候 又其便より種々珍らしき品御送り被下誠ニ難有厚く御礼申上候 別して数の子ハ結構に御座候 日本めし毎ニ頂戴致居候 船中などニて此の数の子の香高かりしニハ市来氏少しく閉口された由也 川路利恭氏御地着相成直左右御聞取被下候由同氏トハ一年間も同居致居候事故誰よりもよく私共生活の状を知り居らるゝ事に御座候
 私かきかけ候画未ダ全く出来上り不申 しかるに共進会出品の期ハ明後日限りと申事左候得ばとても当年の間にハ合ひ不申候 且つ当分教師旅行中にて相談も不出来又た大いそぎにてかき上候とも不十分なる者にてハ何の功能も無き道利 依而出品の事ハ来年と極め此の画ハ今一週間もかゝりて充分ニ仕上る考ニ御座候 其額の大さハ凡そ高さが二尺七八寸幅二尺計ニ御座候 趣向ハ女が琵琶を弾き終りてなニか物を思たりと云様な風情をかきたる積ニ御座候
 其様ハ一寸左如〔図〕
 此の為ニ已ニ百五十仏近く使ひ候得共学校などニてかく稽古がきとハ違ひ一つの額を仕上ると云事ニ付て大ニ利益を得申候 此ノ画終り候はゞ又々何ニか画き始むる覚悟ニ御座候 当分学校にてハ只朝のみ勉強致し居候 余附後便候 早々 頓首
 父上様  清輝
  御自愛専要奉祈候