1890(明治23) 年6月26日


 六月二十六日附 グレー発信 父宛 封書
 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事大元気にて田舍ニ於て勉強罷在候間御休神被下度奉願上候 先日よりかき掛居申候二枚の額も次第ニ進み申候 尚二十日か一月も致シ候ハヾ全く出来上り可申奉存候 金ハ来月中ハとても覚束なき程遣ひ込み申候 左様御承知奉願上候 来年の共進会へ持ち出し受ケ取られ候都合ニ相成候ハヾ心地よき事と存折角骨を折り罷在候 御地ニてハ当年博覧会有之候て余程盛なる事の由承り候 油絵の出品等も自ら有之候事を奉存候 御覧被遊候哉 上手も出来候半と奉遠察候
 久米 河北の両氏本日巴里へ帰り行候間田舍ニ日本人私独りと相成淋しき事ニ御座候 已ニ申上候通リ当地ハ英米及ビスエーデン等の異人多く来り居候て甚ダ心地悪く候 併し今迄ハ私共中間三人ニて有之候故日本村の勢盛ニ候処今日より独立の愉快を失ひ閉口の至ニ候 近頃ハ仏語ハ余リ耳ニ立ち不申候得共英語などを聞申候時ハ何となく夷人臭き様心地致し候 又実際の処ハ仏人ハ夷人中日々生活上ノ風習より事物ニ付て興す感等最も日本人ニ似たる者の様ニ御座候 米人ハ日本にてハ余程評判よろしき様ニ候得共当地にて見る時ハ先づ一般ニ俗物なるが如く被思申候 先日中ハ殆ンド毎日雨のみにて景色の稽古などニハ都合悪しく候処此の二三日ハ又上天気と相成今日などの暑さハ殆ンド日本の暑さの様ニ有之候 此天気今の儘にてハ兎ても続き申間敷と存候 昨夜ハ友人河北氏及び旅店の亭主夫婦其他村の者都合八人にてやど屋の馬車にて隣村の祭見物ニ夜十時頃より出掛ケ申候て朝方三時過ニ帰村致し候 祭ハいづこも同しくさわぎ方の強き者に御座候 田舍道を夜の明る頃朝風ニ吹かれて行く心地ハ一層ニ御座候 早々 頓首
 父上様  清輝
  御自愛専要奉祈候