1892(明治25) 年12月4日


 十二月四日 日
 昼後雹ト雪が少シ降る さむし てつたり曇たり也 朝も昼後も画部屋ニ行て菊の花をかく 昼後ハ和郎ハどこかニ散歩ニ行て来ず 夕方ブルス氏ト墓場の上ヲ散歩ス 夜九時頃ニ和郎来り火ニあたりながらお雪さんの性質ニ付ての心配又手懸ニ安心を得しむるの策等の話ヲ為シ十時半頃迄居た 今日ハ此の村の火消共の祭也 去年ハ義理だと思て銭ナド出シ名誉員ニ為るやら夜食ニ行やらしたが此年ハそんナ馬鹿ハ止ニシた 火ヲおこしたを幸湯をわかして足ナド洗ふ 一時少シ前に床ニ入り二時頃ニあかりを消す

同日の「久米圭一郎日記」より
作病ヲヤラント欲シテ本病トナル十二月四日