本データベースでは中央公論美術出版より刊行された『黒田清輝日記』全四巻の内容を掲載しています。なお、デジタル化にともない、正字・異体字・略字や合成文字は常用漢字ないし現行の字体に改めました。



1892(明治25) 年12月8日

 十二月八日 木 朝曾我が送て呉れタ職業学校の規則書が届く 上天気だがオレの気分は何ニとなく不平極る 十一時頃ニ村ヲ飛ヒ出シ乾山(モンチ)村ニ行キ御中食 それから兼て聞て居た瀬戸物製造所ヲ見物シ記念の為鉢ヲニつ十仏で買ヒそれヲ両手ニ下ゲて帰村 鞠の内へ一寸立寄る 奴ハ巴里ニ出て留守番ニ霜菜が来て居た 少し話し鉢ヲ一つ呉れてやる 夫レカラ宿屋ニ行き台所でカナダ国のコルタ等と水ヲ飲みながら話す 晩夜食後美陽家ニ一寸いと行 鞠帰て居た 夜食ニハパンガ無かつたので買ニ行た 和郎が夜話ニ来て村の飯盛ニやる色文ヲ書く オレハ日本へ出す端書ト久米等への手紙ヲ書く

1892(明治25) 年

 十二月八日附 グレー発信 父宛 葉書 御全家御揃益御安康之筈奉大賀候 次ニ私事不相変大元気にて勉学罷在候間御休神可被下候 此頃ハ寒さ強く相成外ニての稽古ハ六ケ敷仕事部屋の中にて菊の花など研究致シ居候 一昨六日初雪降り申候 昨日も雪降し沢山ハ積不申今日の日にて大低ハとけ申候 此の村より一里計の処ニ瀬戸物の名所有之候 兼而話ニハ承り居候得共未だ一度も見物不仕候処今日不図思ヒ立ち越申候 極少さな製造所とハ申ながら模様及焼の色等一風有之見事なる花瓶等出来申候 余附後便 早々 頓首 父上様  清輝拝

to page top