1892(明治25) 年12月23日
十二月二十三日附 グレー発信 母宛 封書 (前略)わたくしもしごくたつしやにてくらしをります かきかけのきくのゑもかいてしまいましたから二三日のうちニせんせいのところニもつていつてみせようとぞんじます わたしハこんどハまたぱりすへまいりましてしばらくぱりすにをるつもりです そうしてらいはるハかへつていくしたくをするかんがへでございます おめニかゝるのももうぢきですよ ゑだのほんだのはみんなはこづめニしてをくりましてたゞからだ一つニなつてあめりかのほうへまわろうとぞんじます たびをするノニにもつがこてこてあるほどめんどうなものハございません わたしのゑのてほんニなつてくれをつたこゝのむらのむすめがちかぢかのうちニよめいりをするそうです いつかのころハたいびようでしたがだんだんよくなりいまハたつしやです めでたきことです(後略) 母上様 新太拝